english

ここから本文エリア

紙面から from Asahi Shimbun

【(核なき世界へ)長崎原爆開発の地、汚染なお】 (2010年8月6日 朝刊)

 「冷戦の遺物」の都市は、気温40度近い砂漠地帯の中にあった。米西海岸ワシントン州シアトルから車で約3時間の距離にあるハンフォード核施設。米国の核兵器開発の主役だった原子炉が9基残る。
 ここに秘密都市ができたのは1943年、米国が原爆開発を急いでいる時期だった。琵琶湖の約2・3倍の面積に相当する約1500平方キロの砂漠に、全米から労働者が集められた。原子炉で作られたプルトニウムは、ニューメキシコ州に送られて原爆の原材料となり、45年8月、長崎に投下された。
 冷戦末期の1987年に最後の炉が閉鎖されるまで、プルトニウム生産は続いた。最初に運転を開始したB原子炉が2008年、国定歴史建造物に指定されたのをきっかけに、米エネルギー省が一般公開するようになった。
 B原子炉の炉心では、係員が「1940年代から、3重の安全設計がされていた」と誇らしげに説明をする。実際、原子炉は大きなトラブルは起こさなかった。
 しかし、放射能に汚染された冷却水がそのまま、すぐ近くを流れる大河のコロンビア川に放出され、放射性廃液をためた地下タンクからは廃液が漏れだした。州当局によると全米の放射性・化学廃棄物の6割以上がここにあり、米国で最も汚染された土地だ。
 敷地はほぼ立ち入り禁止。汚染された土を移動させたり、放射性の地下水を浄化したりする作業が続く。周辺の町リッチランドのヘイラー元市長は「除去作業は2050年、2060年まで終わらないだろう」という。人類が作り出してしまった「核」という重いツケの清算は、容易ではない。

《2010年の夏・その他》 その他の記事一覧