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紙面から from Asahi Shimbun

【核大国、行動今こそ 各国訪ねた被爆者、米など参列に期待・注文 きょう広島平和式典】 (2010年8月6日 朝刊)

 被爆から65年。原爆死没者を追悼し、核兵器廃絶を願う広島の平和記念式に、原爆投下国の米国や、英仏の核兵器保有国が初めて参列する。この歴史的な節目を「核のない世界」に向けたスタートラインにできるのか――。被爆者の期待を込めたまなざしがそそがれている。

 ●「原爆投下の米、廃絶先頭に」
 「あまりに時間がかかり過ぎた。だが、米国がこれから核兵器廃絶の先頭に立つ一歩につながると信じたい」
 ルース駐日米国大使が初めて式典に参加することに、野村秀治さん(78)=東京都町田市=は期待を込めた。
 8月6日。広島県立広島第一中学2年だった野村さんは爆心地から約4キロ離れた広島市江波町でガラス片を浴びた。入院中の弟と付き添いの祖母を捜すため、市中心部の病院を目指すと、途中から死体を踏みつけなければ進めなくなった。黒こげの遺体を見つけては確かめた。翌日、偶然再会できた2人は、終戦を待たず相次ぎ息を引き取った。
 戦後、野村さんは大手商船会社に就職し、1960年からたびたび渡米。74〜77年には駐在員としてシカゴで暮らした。多くの米国人の友人に恵まれる一方、「原爆が戦争を早く終わらせた」「先に手を出したのは日本だ」といった「原爆投下正当化論」に直面し、怒りでいっぱいになった。
 在職中は家族にも被爆体験をほとんど語れず、被爆者健康手帳を取得したのは退職後だった。
 あえて記憶の中の惨状を絵にしようと考えたのは75歳になってからだ。三男に「お父さんしかできないことがある」と画材を渡されたのがきっかけ。8月6日の惨状をとらえた写真は数枚しか残っていない。絵であれば歴史観の違いを超えて米国人の心を揺さぶれるのではないか。
 カルチャーセンターに通い、毎日絵筆を握る。最初に完成させるのはあの日路上でひざをつき、か細い声で「水を下さい」と訴えた、顔が焼けた女学生だと決めている。
 「口先だけの謝罪の言葉ならいらない。見たいのは、原爆を初めて使用し『核のある世界』の幕を開いた米国が、核兵器廃絶の先頭に立って行動する姿だ。その時、私は初めてあの国をゆるせる」
 オバマ米大統領の言う「核なき世界」は本物なのか。キャンバスに向き合いながら見届ける。
 

 ●「冷ややかフランス、関心を」
 神奈川県茅ケ崎市の樫村従子(よりこ)さん(86)にはフランスでの苦い記憶がある。フランスで暮らす孫を訪ねて、何度も現地に滞在した。ある時、弁護士でもある下宿先の奥さんに、雑談で被爆者であることを告げた。驚いた様子もなく言われた。「じゃあそのときカキはどうなったのかしら」。フランス人は原爆より好きな食べ物に関心があるのかとあぜんとした。
 広島で被爆しガラス片を浴び、多くの死に直面した。自作の地図を使い、体験を学校などで語り続けている。核実験を繰り返してきたフランスでも訴えたい気持ちがあった。下宿の奥さんがどこまで本気だったのか分からないし、フランス人がみな無関心とも思わない。でも、あの言葉で語る気をなくした。
 孫にも体験は話してきたし、広島にも一緒に行った。幼いころからフランスに暮らす21歳の彼女は「歴史の授業で出てくるが、フランスでは原爆も戦争で起きたいろんな殺戮(さつりく)のひとつ」と冷静だ。
 そのフランスから、代表が式典に参加する。オバマ米大統領の姿勢に影響されたのかもしれないが「ある程度原爆に関心を持ってくれたのかな」と思う。「各国の新聞はきちんと伝えてほしい」。核保有国でも関心が高まることを願う。
 孫も原爆ドームには「生々しい何かを感じた」と言う。彼女にも、友人に原爆のことを話してほしい。

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