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紙面から from Asahi Shimbun

【長崎の記憶、世界へ 平和祈念式典、海外の若者も参列 原爆の日】 (2010年8月9日 夕刊)

 長崎原爆の日の9日に長崎市で開かれた平和祈念式典には、海外からも若者が参列した。世界が核廃絶に向けて少しずつ歩み始めた今、被爆地で何を考え、感じたのか。

 ●証言50時間託された 被爆者の映像撮る米の若者
 式典会場で、米国東部のコルゲート大を5月に卒業したアレックス・スクリャールさん(22)とキャロリナ・メンスブルクさん(22)がビデオカメラを構えていた。米国の市民団体の支援を受け、約40日間かけて長崎の被爆者の記録映像を撮っている。
 メンスブルクさんは昨年、職場体験で長崎を訪れ、被爆語り部の吉田勝二さんに出会ってビデオ撮影を思い立った。ところが、7月2日に来日した時、吉田さんが4月に亡くなったと知らされた。「私たちが話を聞ける時間は残り少ない」と痛感した。
 7月末には、原爆で背中を大やけどした時の写真が長崎原爆資料館に展示されている谷口稜曄(すみてる)さん(81)を取材した。スクリャールさんは、やけど跡は今も手術を繰り返していると聞いて「原爆は65年前の昔話ではない。今も続く事件なのだ」と思った。
 ふたりは言う。「核が人間に何をもたらしたのか、私たち米国の若者も知るべきだ。大事な証言を被爆者が託してくれた」。撮りためた映像は50時間以上に及ぶという。

 ●むごさ、漫画で知った 韓国の17歳
 韓国の「アヒムナ平和学校」の金賢哲(キムヒョンチョル)さん(17)=写真=はこの朝、爆心地公園の「長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼碑」に花を供え、平和を祈った。
 同校では、2006年から毎年、戦時中に朝鮮半島から日本に強制的に連れて来られ働かされた人たちの足跡を訪ねている。今回は、長崎で原爆に遭った朝鮮人たちを描いた小説「軍艦島」が昨年12月に日本でも出版されたことから、作者の韓水山(ハンスサン)さんとともに、その舞台を訪ねた。
 金さんは来日前、漫画「はだしのゲン」や被爆者の証言を読み、被害のむごさに驚いた。韓国では「原爆が植民地からの解放を早めた」という意見があるが、金さんは「日本の敗色は濃厚だったので、原爆を落とす必要はなかった」と考えている。
 5日には韓国人の潘基文(パンギムン)・国連事務総長が長崎を訪問。原爆投下について「いかなる場所でいかなる人間に対しても、決して許してはならないと確信する」と演説した。金さんは核廃絶を願う気持ちを後押しされたように感じた。
 「韓国からも多くの人が長崎を訪れてほしい」。帰国後、日本で撮ったビデオを学校で上映する予定だ。

 ◆核廃絶、日本がリードを 被爆者代表・内田保信さん
 《お天気がよいときは誰でも心は晴れますが、毎年8月9日、この日だけは、太陽がギラギラ照りつけるほど、私の心は曇ります》
 65年前を思い出しながら、内田保信さん(81)=長崎市西小島2丁目=は9日、長崎市の平和祈念式典で、被爆者を代表して「平和への誓い」を述べた。
 あの日、内田さんは16歳だった。友人宅にいて、下駄(げた)を作ろうと縁側で内田さんが木材を押さえ、友人がノコギリを引いていた。一瞬、辺りが黄色くなったように見え、頭のてっぺんにクギを刺されたような痛みが走った。体がふわりと浮き、吹き飛ばされている途中で気を失った。爆心地から1・4キロだった。
 《私は『助けてくれ、助けてくれー』という悲しそうな声で正気に戻りました》
 友人は屋根の下敷きになっていた。助け出すと、上半身裸だったため大やけどをしていた。運ばれた防空壕(ごう)で「母ちゃん」と叫んでいたが、その晩に亡くなった。シャツを着ていた内田さんもやけどを負い、左腕にケロイドが残った。
 妻の美喜江さん(81)も被爆者だ。長男裕(ゆたか)さん(54)は早産で体重は2キロ足らず。生後2カ月間、高熱が続いた。「被爆のせいだ」と美喜江さんは泣いた。
 《私は、こんな原爆を、そして核兵器を絶対に許すことはできません》
 「核なき世界」を求める声は高まってきたが、核兵器全廃にはほど遠い。それでも内田さんは信じている。
 《日本が先頭に立って、核兵器の完全禁止、廃絶へ向かって全世界をリードする時です。核兵器のない世界は必ずできると確信しています》

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 アサヒ・コムに平和への誓い

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