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紙面から from Asahi Shimbun

【(核なき世界へ)被爆国からのメッセージ:1 バレリーナ・森下洋子さん】 (2010年11月3日 朝刊)

 小学3年から6年まで、原爆ドームに近い広島市中区袋町で暮らしました。バレエのけいこで東京に通うようになり、その費用を作るために母がレストランを始めたからです。同居していたおばあちゃんは、顔や背中にやけどの跡がありました。私が生まれる3年前、爆心地近くで被爆し、枕元でお経を読まれるほどひどい傷を負ったのです。
 苦しく、つらいこともあったと思います。でも、お風呂屋さんでも人目を気にすることはなく、親指以外がくっついた手を見せて「この手で洗濯ができるのよ」と明るく笑い飛ばしていました。79歳で亡くなるまで恨み言一つ漏らさなかった。命の重みと、苦しみを乗り越える人間の強さ、そして原爆はあってはならないということを無言のうちに教えてくれました。
 あの日、母も広島市内にいましたが、あえて話をすることはありませんでした。戦後、長女の私が生まれました。幼いころ、私は本当に病弱だったそうです。「何か運動をさせなさい」と医師に勧められ、3歳の私に始めさせたのがバレエ。来年で舞踊歴60年になります。人生のほとんどすべてであるバレエに、広島で生まれ育ったことは大きな意味を持っています。
 人間は美しいもの、素晴らしいものをつくる魂を持っています。それでいて、醜い戦争を引き起こし、核の力を人間を殺すために使ってしまう。日本も他国の人たちを苦しめた歴史があります。厳しいけいこを重ねながら精神の輝きを表現したいと願う原点には、一番身近な人から核兵器の恐ろしさを教えられた者として、人間を愛することの大切さ、平和への祈りを伝えねばという思いがあります。
 20代からさまざまな国の舞台に立ち、「広島の洋子」と紹介されました。世界の人たちは、広島で起きたことをよく知っておられました。人間は本能的に醜い戦争を嫌がるものだと信じています。
 オバマ大統領にはぜひ広島を訪れ、今も被爆に苦しんでいる人たちに向き合ってほしい。政治家としてでなくまず人間として、命を絶たれた人たちの無念を感じてほしい。原爆が人間のつくったニセモノの太陽であるなら、必ず人間の手でなくすことができると信じています。(聞き手・武田肇)

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 もりした・ようこ バレリーナ。松山バレエ団理事長。3歳からバレエを始め、1985年に日本人で初めて英国ローレンス・オリビエ賞を受賞。97年には女性最年少で文化功労者に選ばれた。

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