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紙面から from Asahi Shimbun

【(核なき世界へ)被爆国からのメッセージ:3 脚本家・市川森一さん】 (2010年11月6日 朝刊)

 「明日」という題のテレビドラマを、昭和最後の夏に書きました。長崎に原爆が投下される前日、1945年8月8日の庶民の暮らしを描いた作品です。戦時下とはいえ、家庭には団欒(だんらん)があり、母は子を産み、人々は夢を抱いていました。その日常を一瞬にして奪った不条理を許さない、という怒りを込めました。
 オレンジ色に染まった西の空、包帯でぐるぐる巻きにされて隣家に運び込まれた男性――。当時、諫早に暮らしていた4歳の私も、ぼんやりとあの日を記憶しています。鮮明なのは、戦後しばらく残っていた浦上天主堂の生々しい廃虚。のちにクリスチャンとなる少年の私に、そばを通るだけで悲しみとおそれを感じさせました。
 長崎には「原爆投下は神の試練」と受忍する考え方があります。キリスト教色の強い浦上地区が爆心だったためでしょう。しかし、結果として米国への批判を封じ、責任をうやむやにする役割を果たしてきたのではないでしょうか。
 米国内には、「原爆投下が戦争終結を早めた」という弁明が、今なお定説としてまかり通っています。
 なら、なぜ2発も続けて落としたのか。広島にはウラニウム型、長崎にはプルトニウム型と使い分けてもいます。その後の調査団派遣は何だったのか。米国の狙いの一つは新兵器の「実験」だったとしか思えません。
 原爆投下の出撃前、部隊に従軍していた聖職者は、作戦の成功を神に祈り、爆撃機の乗員に祝福をささげました。神や正義を振りかざして虐殺を正当化した米国と、「仕方ない」と怒りを抑え込んだ日本側の姿勢は、表裏の関係にあるのです。
 半世紀前、浦上天主堂の廃虚が撤去された背景にも、米国への配慮が働いたという見方があります。保存されていれば、原爆の罪深さを世界に伝える、もうひとつの「原爆ドーム」になっていたでしょう。オバマ米大統領が崩れ落ちた教会を目にしたら、赦(ゆる)しを請うたに違いないと思うと、残念です。
 いつか、天主堂を題材に戯曲を書こうと、資料を集め始めました。信者であり、長崎人である、私の宿題です。(聞き手・西本秀)

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 いちかわ・しんいち 69歳。長崎県諫早市出身。日本放送作家協会長。ウルトラマンシリーズや「傷だらけの天使」などシナリオ多数。最近は「蝶々(ちょうちょう)さん」など長崎を素材にした小説を書く。

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