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紙面から from Asahi Shimbun

【(核なき世界へ)被爆国からのメッセージ:6 作家・関千枝子さん】 (2010年11月9日 朝刊)

 70歳を超えて同じ夢をよく見るようになりました。1人の少女が耳元で私の名前を呼ぶ夢です。私は心の中で「ごめんね」とつぶやきます。
 1945年8月6日。県立広島第二高等女学校2年西組の同級生39人は、爆心地から1・1キロの雑魚場町(現広島市中区国泰寺町)で建物の取り壊し作業に動員されていて「全滅」しました。私は下痢のため自宅で寝ていて、けが一つ負いませんでした。夢に現れるのはあの朝、私を呼びにきた級友の声です。
 「運がいい子」と呼ばれるのが重荷でした。級友の遺族を訪ね、一人一人の最期の様子を記録に残そうと思ったのは被爆30年後。「申し訳ない」という気持ちを前向きに変えるためです。

 ルポルタージュ「広島第二県女二年西組」を刊行したのは53歳。心ゆくまで水を飲ませてあげられなかったことを悔いるお母さん。焼けてどろどろの姿になった妹を抱けなかった自分を責め続ける姉。歳月を経ても悲しみは癒やされないと実感しました。同時に驚いたのは、亡くなった級友たちが全員、靖国神社に合祀(ごうし)されていたことでした。
 作業中に被爆死した学徒は、戦後十数年たって軍人・軍属を「祭神」とする靖国に祭られたのです。学徒たちが「準軍属」の扱いになったことに加え、遺族の要望もあったとされます。ある親は「これでわが子の死は犬死にでなくなった」と語りました。

 原爆犠牲者の級友たちがなぜ英霊としてたたえられるのか。もし、あの日私が作業を休んでいなかったら、と想像すると、耐え難いと感じます。行き場のない肉親の悲しみをすくい上げる形で、少年少女らの原爆死が名誉の死にすり替えられた過程は、原爆投下に至った責任をあいまいにしてきた被爆国政府の態度と無関係ではないでしょう。
 級友の死を本当の犬死ににしない唯一の方法は、核兵器を廃絶し、恒久平和を打ちたてることだと思います。級友の声が私の耳から離れるとすれば、それは「核廃絶の日」でしょう。被爆国を名乗るならば、少なくとも非核三原則の法制化にちゅうちょすべきでありません。そのうえでオバマ米大統領には「もう言葉は要らないから行動を」と言いたい。
 (聞き手・武田肇)

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 せき・ちえこ 大阪市生まれ。78歳。毎日新聞記者、全国婦人新聞(女性ニューズ)編集長を経て、ノンフィクション作家。「ルポ母子家庭」(岩波書店)など著書多数。

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