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紙面から from Asahi Shimbun

【2011年の夏】
広島原爆の日、影薄い「脱原発」 菅首相あいさつ、言葉控えめ (2011年8月7日 朝刊)

 東京電力福島第一原発事故後初めての、広島原爆の日を迎えた。被爆地では「脱原発依存」の方針を掲げた菅直人首相の発言に注目が集まったが、踏み込んだ言葉はなかった。原発事故は、核の軍事利用と平和利用を分けてきた戦後の歩みを問い、被爆者たちの意識も変えつつある。▼1面参照

 「これまでの『安全神話』を深く反省し、原発への依存度を引き下げ、原発に依存しない社会を目指してまいります」
 「脱原発」路線を前面に政権浮揚を図ろうとしてきただけに、注目された菅直人首相の平和記念式でのあいさつ。追悼の式典でエネルギー政策見直しにあえて言及したものの、発言自体はこれまでの範囲を超えるものでなかった。
 1年前は違った。核使用の悲惨さや平和の大切さを発信するため、被爆者を「非核特使」に起用する考えを表明。メッセージの打ち出しに意欲的だった。
 今回の発言が低調だったのは、前倒し気味に原発・エネルギー政策の発信を続けてきたからだ。
 6月の辞任表明後、首相は周辺に「脱原発は社会運動のテーマだ。社会で運動してくれないとうまくいかない」と息巻き、矢継ぎ早に「見直し方針」を打ち上げてきた。野党に反発させて「摩擦」を起こし、世論の関心を高めて政権浮揚につなげる狙いもあった。
 7月に入り、九州電力玄海原発の再稼働に「待った」をかけ、ストレステスト(耐性評価)の導入を主導。13日には「脱原発依存」を宣言した。29日にはエネルギー政策見直しを議論する「エネルギー・環境会議」で中間整理案をまとめ、原発依存度を減らす方向に政策転換する方針も示した。
 そんな首相に、野党には「8月6日に広島で『脱原発解散』を打ち上げるのではないか」(自民党中堅)との見方が広がった。政権内でも直前まで「厳粛な場でとんでもないことを言わなければいいが」(官邸スタッフ)との声が漏れた。
 だが、終わってみれば「ノーサプライズ」。官邸スタッフらが用意したあいさつ文に首相はほとんど手を入れなかった。草稿をギリギリまで手直しする普段の姿とは別人のようだったという。首相周辺は「脱原発の政策を出し尽くして事実上打つ手がなかったから、淡々とした内容になった」と解説した。

 ●被爆者「がっかり」
 平和記念式に出たあと菅首相は広島市中区のホテルで、政府の「非核特使」経験者と、広島の被爆者7団体の代表との二つの懇談の場に臨んだ。
 「首相の『脱原発』の考えは素晴らしい。頑張って下さい」。世界各地で「特使」として被爆証言をした兵庫県西宮市の壺井(つぼい)進さん(83)が激励の言葉をかけた。だが、聞き役に徹し、メモをとり続けた首相からの返事はなかった。
 対話の時間は計約80分間に及んだ。その間、原発に関して首相は「(核)兵器も(原子力)発電所も、放射線被害が起きないようにする点では共通の問題だ」と述べるにとどまった。
 平和記念式で述べた「原発に依存しない社会」への詳細な道程は語らないまま。「脱原発」へ向けて首相が何を語るのか、期待半ばで注目していた被爆者の間に、不満が広がった。
 広島県原爆被害者団体協議会(被団協)理事長の坪井直(すなお)さん(86)は「『脱原発』をどうするのか、具体的な形で出してもらいたかった。首相も揺れている気がする」と語る。
 韓国原爆被害者対策特別委員会事務局長で被爆2世の丁基和(チョンキファ)さん(52)は「官僚がつくった文章を棒読みする感じで完全に肩すかし。報道でははっきり脱原発に踏み出すような印象があったが、がっかりだ」と語った。
 懇談後の記者会見でも首相は構想の具体像は語らなかった。会見を聞いていた湯崎英彦・広島県知事は「『原発に依存しない』と言いながら、(改めて問われると)はっきり言わない」と非難。「ごにょごにょ言って中途半端。国のリーダーとしていかがなものか」と切り捨てた。

 ●平和宣言、強く打ち出せぬ苦悩
 被爆地広島でも、国にエネルギー政策の見直しを求めつつも、平和宣言では「脱原発」の方向性を強く打ち出さなかった。
 背景には、過去の平和宣言が核の「平和利用」を肯定してきたという事情がある。松井一実市長は「エネルギー政策は国の責任。原発に対する市民の賛否も割れている」と説明する。
 「脱原発」後の代替エネルギーをどう確保するのか。被爆地に展望があるわけではない。平和宣言で「脱原発」へ踏み込めなかった苦悩がそこにある。
 とはいえ、福島第一原発事故は、被爆地や被爆者の意識に確実に変化をもたらしつつある。
 日本原水爆被害者団体協議会は7月の代表理事会で、全原発の停止・廃炉を国に求めていく運動方針を決めた。1956年の結成以来の方針転換だったが、「異論はなかった」(田中熙巳〈てるみ〉事務局長)。意見が対立する原発問題に踏み込むことは組織の分裂につながりかねないとして、これまでは核の平和利用を否定してこなかった。
 91〜99年の広島市長在任中に、平和利用を肯定する文言を自ら平和宣言に盛り込んだ平岡敬さん(83)はこう悔やむ。「(原発は)文明を享受するための必要悪だと考えていたが、間違っていた」
 映像作家、田辺雅章(まさあき)さん(73)は51年発刊の「原爆の子」に寄せた被爆体験手記で、平和利用への期待感をつづった。あれから60年。「平和利用などありえなかった。自分自身が腹立たしい」と語る。
 今年の平和宣言は、広島出身の原水爆禁止運動のリーダーで、哲学者の故・森滝市郎さんが残した言葉「核と人類は共存できない」を引き、平和利用への疑念もにじませた。
 核と人間の関係を問い直すことを避けて通れない時代を迎えた。

 ■原発と被爆地をめぐる最近の動き
3月11日 東日本大震災
  12日 福島第一原発1号機で水素爆発
  14日 福島第一原発3号機で水素爆発
7月13日 菅直人首相が会見。「計画的、段階的に原発依存度を下げ、将来は原発がなくてもやっていける社会を実現していく」として「脱原発」社会を目指す考えを表明
   同日 日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が「脱原発」の方針を正式決定
  15日 菅首相が衆院本会議で、「脱原発」社会を目指すとの表明は「私自身の考え」と説明
  28日 長崎市が平和宣言の骨子発表。原子力に代わるエネルギー開発の必要性を説き、将来的な原発からの脱却を打ち出す
  31日 原水爆禁止日本国民会議(原水禁)が福島市で世界大会を
8月 6日 広島原爆の日。松井一実・広島市長が平和宣言で、国にエネルギー政策を早急に見直すよう求めた

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