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紙面から from Asahi Shimbun

【2011年の夏】
語り部の孫の決意 「平和を訴えてきた祖母の力になりたい」 あす長崎原爆の日 (2011年8月8日 夕刊)

 長崎原爆の日(9日)を控えた長崎市の平和公園で8日、平和祈念式典で犠牲者に捧げる水を小、中、高校生が園内の「平和の泉」からくんだ。高校生代表は被爆体験の語り部、下平作江さん(76)の孫、結依さん(16)=同市立長崎商高2年。肉親には面と向かって体験を語れなかった祖母は今、「ようやく孫にもバトンを手渡せた」という思いでいる。
 下平さんは、爆心地から800メートルの自宅近くにあった防空壕(ごう)で被爆。母、姉、兄を失った。助かった妹も10年後、列車に飛び込んで自ら命を絶った。翌日、妹の後を追おうと下平さんも線路際に立ったが、怖くてできなかった。どんなにつらくても、家族の分まで生きると決めた。
 「二度と被爆者をつくりたくない」と語り部を始め、これまでに30年を超え、1万回以上、体験を語ってきた。年に300回以上、話をしたこともあるが、家族には話さなかった。失った親やきょうだいのことを、家族に語るのは苦しすぎた。
 結依さんが中学2年の時だった。下平さんは結依さんが通う中学校から講話を頼まれた。「いい機会がやってきた」と思った。
 生徒の一人として講話を聴き、結依さんは絵本で読んだだけだった祖母の半生を初めて詳しく知った。つらくとも生きると祖母が決意したから、今の自分がいると知った。祖母には「私たちの代でも、平和について訴えていかないとならない」と手紙を書いた。
 今年の夏休み前、高校で式典の参加者を募った時は、真っ先に手を挙げた。「平和を訴えてきたおばあちゃんの力になりたい」と結依さん。下平さんは「生きたからこそ、思いが孫に伝わった」と感じている。
 9日、結依さんは原爆投下時刻の午前11時2分に先立ち犠牲者に水を捧げる。同時刻、下平さんは長崎市の隣、諫早市の高校に招かれ、いつもと同じように体験を語る。(遠藤雄司)

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