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紙面から from Asahi Shimbun

【2012年の夏】
理想から現実へ 国際平和シンポジウム 「核兵器廃絶への道〜世界と東アジア」  (2012年8月4日 朝刊)

 国際平和シンポジウム「核兵器廃絶への道〜世界と東アジア」が7月28日、長崎市の長崎ブリックホール国際会議場で開かれた。2015年の核不拡散条約(NPT)再検討会議に向けた準備も始まるなか、日米中3カ国の研究者らが核軍縮への展望を提示。議論は東京電力福島第一原発事故を受けた原子力政策のありようにも及んだ。
 長崎市、長崎平和推進協会、朝日新聞社が主催し、広島市、広島平和文化センター、長崎文化放送、広島ホームテレビが後援した。(討論のコーディネーターは三浦俊章・朝日新聞論説委員)

 ◇特別講演 次世代へ伝える志 浅田次郎さん
 1951年生まれの私には戦争の記憶がない。空襲で焼け焦げた映画館が近所にぽつんと残っていたことくらいだ。  子どもの頃、放射能への恐怖感を植えつけられた。「放射能は伝染する」というデマがあったし、ビキニ環礁の水爆実験も何となく記憶にある。日本にも「死の灰」が降ってくると言われていた。
 全集「戦争×(と)文学」(集英社)の編集委員として、膨大な戦争文学を読み込んだ。日本には戦争を舞台にした小説が多い。自然に自分の内面を見つめて苦悩を書き込んでいった。戦争によって、優れた文学が生まれたのは皮肉なことだが。
 小説家になり「いずれ戦争を書かないと」と思った。父の出征体験をもとに「地下鉄(メトロ)に乗って」を書き、軍需動員された母の話から「日輪の遺産」を書き下ろした。戦争の話を連載すると、体験者がどう思うかが怖い。ましてや死者は私に苦情も言えない。身じろぎできないほどの責任の重さがあるが、自分のライフワークだと思っている。
 「核」とは何なのか。巨大化した軍隊も作戦も関係ない。1発で決着がつく、この飛躍。「悪魔そのもの」と言ってもいい。善しあしは別として、軍隊は進化し、捕虜虐待禁止や宣戦布告の義務などは国際法で決められている。そんな最低限のことすら、黒く塗りつぶしてしまうような異物感を拭うことができない。
 それぞれ「自分はこれができる」ということをやっていかないといけない。戦後67年たつが、日本人は毎年、振り返り続けてきた。このエネルギーを落とさないよう次世代につなげる。核兵器はあってはならず、子どもの世代にできる限り引き継がせない。その精神で頑張っていきたい。

    *

 日本ペンクラブ会長。著書は直木賞受賞の「鉄道員(ぽっぽや)」、旧ソ連軍による終戦後の千島侵攻を描いた「終わらざる夏」ほか多数。近著は「降霊会の夜」(朝日新聞出版)。60歳。

 シンポジウムの前半では、長崎市の朗読グループ「虹」が、朝日新聞長崎県内版で連載中の「ナガサキノート」に収められた小峰秀孝さん(71)の被爆体験を読んだ。フリーアナウンサーの東島真奈美さんと高柳篤江さんが読み進め、ピアノ教室主宰の木田あゆみさんが鎮魂歌を奏でた。
 〈じいちゃんは腹も足も汚なかねえ。どんげんしたと〉。朗読は、被爆で右足が変形しケロイドが残る小峰さんに、孫娘が尋ねる場面から始まる。小学生のころ、「腐れ足」「鳥の足」と悪口を言われ、いじめられた。交際していた女性の親に結婚を反対され、自殺しようとした。
 小峰さんは終盤に、自ら語り始めた。
 4歳の被爆当時に体からうじがわき、「殺して」と繰り返し家族に言ったとき、父が「どっちみち死ぬのなら」と何度も首を絞めようとした。父は亡くなる前日、「お前が一番心配」と小峰さんに語りかけた。「死ぬまで罪の意識を抱いていたからではないかと思った」と振り返った。
 「死ぬのも地獄、生きていくのも地獄だった。やはり今でも、戦争、原爆を憎まざるをえません」と締めくくった。


 ◆祈りの調べ、響く ピアニスト・小國雅香さん
 シンポジウムの幕開けを彩ったのは、長崎を拠点に活躍するジャズピアニスト小國雅香(おぐにもとか)さん率いるトリオ。今回のために書き下ろした新曲「祈り/長崎から」を、長崎のハンドベルグループ「カドゥ・ドゥ・ランジュ」と披露した。
 ジャズのリズムとハンドベルの澄んだ音色。祈りの先にある希望を込めたという曲に観客は聴き入った。
 小國さんは「生きていく上で不条理なことを経験するが、最たるものが原爆。原爆で一瞬にして大切な家族を亡くした悲しみはどれほどか。戦争や核兵器があってはならないと強く思った」と語った。

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 ◆米ロ、多国間対話始めよ 米国・世界安全保障研究所所長、ブルース・ブレア氏
 NGO「グローバル・ゼロ」にかかわる世界の指導者たちは核兵器廃絶への道に向かい、三つのステップの実行を呼びかけている。
 まず、米国とロシアが今後10年の間に、各5千発から900発まで、核兵器を削減することに同意する。
 第2に、米ロが核ミサイルをすぐ発射できないように、警戒態勢を解除する。冷戦後も分単位でミサイル発射が決定される態勢で、不注意や誤った情報に基づく発射が起こりうる深刻なリスクがある。
 第3に、米ロが全ての核保有国を含めた多国間交渉を実現させる。中国や他国と対話を始める。これらの努力はすぐ始めなければならない。
 米ロの安全保障にとって、核抑止の考えはもはや古い。他国に核攻撃を仕掛けることは、どこの国益にもかなわない。テロや地域紛争、サイバー攻撃、気候変動など21世紀の脅威にも核は役立たない。  核兵器にかかる予算は毎年、米国で350億ドル、ロシアで100億ドル。近代化への費用も必要で、使うことができない兵器への多額の投資はきわめて疑問だ。
 私は米軍の将校だったとき、長崎原爆の2500倍の威力の核ミサイルを発射しなければならない責任を負っていた。実行していたら、ソビエト市民が何千万人も命を失っただろう。人類に対する罪を犯すことをどう考えるか。若い人たちに問いかけたい。
 核兵器は人間性を失うことなく使うことも、所有することもできない。国家でもテロリストでも核を持った場合、究極には使われてしまい、破壊的な結果をもたらす。世界の指導者が立ち上がって、核兵器の所有、利用は人類に対する犯罪であること、我々が生きている間の、特定の日までに核兵器を廃絶することを宣言しなければならない。

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 米ロの核戦略に詳しい。核廃絶を目標に各国の元高官、元軍幹部らが集まるNGO「グローバル・ゼロ」共同代表。1970〜74年に米空軍で勤務し、核ミサイル発射担当。64歳。

 ◆中国、核依存減らしたい 中国・復旦大学教授、沈丁立(シェンディンリ)氏
 核兵器の保有は、中国の経済的負担になっている。核兵器がなければ、環境や人権や経済にもっと予算を回せる。
 中国には核兵器の先制不使用の政策がある。ただ、報復攻撃でも、非戦闘員を巻き込むなど非常に大きな被害をもたらす。私は報復でも、使用には反対だ。
 中国の核兵器保有量はロシアや米国より少ない。ただ、多くの中国人は核保有を誇りに思っている。核がなければ、不安は増す。これは米国に強いられた状況だ。朝鮮戦争の時、米国は中国に核使用も考えたとされる。
 どうやって核なき世界にしていくか。米ロが核弾頭数をもっと減らせば、中国も加わる土台となる。米国は核兵器を長崎の後、(実戦では)使っていないが、使わないと約束はしていない。中国の国内政治や安全保障にとって、この点が重要だ。
 包括的核実験禁止条約(CTBT)は、米国の批准を待つだけではなく、他の国の批准を進めなければいけない。核軍縮に向けて、中国は米国と競争すべきだ。
 中国は核保有国に囲まれている。インド、パキスタン、ロシア、米国、おそらく北朝鮮。日本、韓国は米国の核の傘で守られている。中国は核拡散は認めない。核開発を目指す国に魅力ある代替策を示すようにもっと努力がいる。
 中国は原発27基を建設中で安全性をめぐる議論がある。核セキュリティーの専門家や技術者を養成し、施設を安全に運営する拠点ができようとしている。中国だけでなく地域の拠点となるべきだ。
 中国と米国が責任あるパートナーとなることを願う。中国は安全保障での核依存を弱めていかなければならない。国家間の相違を軍事ではなく、政治的な方法で解決していきたい。

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 上海の復旦大学で国際問題研究院常務副院長、アメリカ研究センター主任。米中安全保障、軍備管理と不拡散などを研究。1989〜91年、米プリンストン大学で研究。51歳。

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