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紙面から from Asahi Shimbun

【2012年の夏】
脱原発、集う・声上げる 8・6広島  (2012年8月6日 夕刊)

 ●会場周辺デモ記録
 日増しに強まる脱原発の声。核問題を広島から考えようと訪れた人々がいる。
 大阪府八尾市の健康料理研究家、岸本さち子さん(42)は式の会場周辺で、脱原発デモの様子をカメラで撮り続けていた。
 2児の母の転機は「3・11」。市民運動の経験はないが、「原発を止めるために声を上げなきゃ」と昨年4月にデモに参加。しかし、報道されなかった。誰かが記録を残さなければと思い、撮影を始めた。広島へは初めて。「原爆ドームを見て、言葉にならなかった。子どもたちのためにも、原発は止めなければいけない」という。
 「この日、ここで手を合わせたかった」。大阪府吹田市のアルバイト、釣(つり)琴美さん(27)は交通費節約のため、夜行バスで1人で来た。遠い親戚に被爆者がおり、放射線の恐ろしさを知識としては知っていた。
 原発事故で「想像が現実になっちゃった」。デモに参加するようになり、核の歴史を学んだ。広島・長崎、そして、核の平和利用としての原発。その延長線上に福島事故がある、と感じるようになった。
 「67年前を思い、福島事故後の今をどうしていくのかを考えたい」
 (田村隆昭、大谷聡)

 ●「核廃絶と再稼働、相いれない」 馬場浪江町長、初めて式典へ
 初めて参加した福島県浪江町の馬場有(たもつ)町長は「原爆投下後の広島の状況を想像し、震災直後の福島と重なる気がして感慨深かった。平和宣言で、松井一実広島市長が被災地に向け温かい言葉を贈ってくれたのがうれしかった」。  野田佳彦首相があいさつで「脱原発依存」に触れた点については「ごまかしに過ぎず、誠意が見られない。原発の再稼働と核廃絶とは全く相いれない」と批判した。

 ●遺族と並び黙? 「平和発信する」トルーマン氏の孫
 原爆投下を命じたトルーマン元米大統領の孫のクリフトン・トルーマン・ダニエルさん(55)も初めての参列。黙?(もくとう)に合わせ、被爆後に12歳で白血病で亡くなった佐々木禎子さんの兄、雅弘さん(71)、原爆投下機に搭乗した米兵の孫アリ・ビーザーさん(24)と手をつなぎ、犠牲になった人々に思いをはせた。「被爆者のため、米国でも平和のメッセージを今まで以上に発信したい」と誓った。

 ●「悲惨さ理解」 英仏大使も
 英仏の駐日大使もそれぞれ初参加した。英のディビッド・ウォレン大使は「核の残した遺産で、被爆者らは悲惨な思いをしていることが深く理解できた」と述べる一方、「英国が現在持っている核兵器は、抑止力として最低限」と強調。仏のクリスチャン・マセ大使は前日、原爆ドームを訪れたといい、「広島で何が起きたのかを理解するには、実際に来なければいけないと思った」と話した。

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