english

ここから本文エリア

紙面から from Asahi Shimbun

【2012年の夏】
焦土の花に希望重ね 原爆の日、郡山の中学生が広島へ 「原発事故に負けたくない  (2012年8月7日 朝刊)

 東京電力福島第一原発の事故後、高い放射線量が計測された福島県郡山市の中学生が、「8・6」の広島を訪れた。不自由な暮らしを余儀なくされた子どもたちの心を打ったのは、焦土に咲くカンナの写真や被爆者の言葉。復興への希望を胸に、被爆地を後にした。

 6日午前8時15分。西村知真(かずま)さん(13)=郡山市立郡山第一中=は初めて訪れた広島で、同市から派遣されたほかの28人の中学生とともに、原爆投下の時刻に合わせ、平和記念公園(広島市中区)で黙?(もくとう)を捧げた。「原爆とともに、震災で犠牲になった人のことも自然に心に浮かんだ」
 熱線で焼かれ、ボロボロになった制服や、黒い雨の跡が残った壁……。西村さんは前日、平和記念資料館(同)で、被害を伝える展示物をじっと見つめた。
 その中で、一枚の写真が印象に残った。原爆投下1カ月後に撮影された「焦土に咲いたカンナの花」。草木も生えないと言われた被爆地にポツンと咲くカンナを見て、「広島の復興を支えたのは人々の希望だったと思う。僕らも原発事故に負けたくない」と話した。
 郡山市は震災4日後には、中心部で毎時8マイクロシーベルト超の放射線を観測。校庭を使うため表土を入れ替え、部活動でも3時間以上は屋外に出ないという、独自のルールが今春まで続いた。今も一部では制限を設ける学校もある。
 西村さんの周囲では自殺した人もいた。幼いころから可愛がってくれた米作農家の男性。風評被害で将来を悲観した結果と聞いた。「人の人生を狂わせる放射線の実態を知りたい」と、市が平和学習の一環として中学生を広島に派遣する事業に参加した。
 「想像以上の被害。だけどビルが立ち並ぶ今の姿を見て、復興にかけたエネルギーを感じた」と言う。
 「なんでこんな目に遭うんだろう」。同じく訪問した伊藤文野(あやの)さん(13)=市立三穂田(みほた)中=も、事故が恨めしかった一人だ。昨夏、健康被害を心配する母親と妹の3人で約1カ月間、つてを頼り香川県に避難。しかし友達と別れたくないと母親を説き伏せ、郡山へ戻った。広島へ来たのは、「復興の原動力」を知りたいとの一心だった。
 式で、高齢の女性から「福島から来たの?」と声を掛けられた。女性はいとこが被爆死したと語り、「大変だろうけど応援しとるけえ、がんばりんさいよ」と励ましてくれた。何げない一言が心にしみた。
 「福島復興のために必要なのは、相手を思いやる気持ちを忘れないことかなって思った。友だちにも伝えたい」
 (小河雅臣)

《2012年の夏》 記事一覧