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紙面から from Asahi Shimbun

【2012年の夏】
福島に見るこの国の滑稽さよ 長崎で被爆、作家・林京子さん 絶望越え次作へ   (2012年8月8日 夕刊)

 福島の原発事故に絶望した。被爆者として、表現者として、歩んできた人生を丸ごと否定されたように思えた。長崎に原爆が投下された8月9日を原点として、福島と向き合う。被爆67年の夏。作家、林京子さん(81)は新たな決意を固めている。

 戦争の悲惨さというだけなら、私は執念深く書いてこなかった。でも、「9日」は現在進行形で死ぬまで続く疵(きず)を、人の内部に残した。そのことを書いてきたつもりです。

 14歳で被爆し、30代からナガサキをテーマに書いてきた。しかし、原発事故後、気持ちがなえてしまった。耳を疑ったのは「内部被曝(ひばく)」という言葉が公式に使われたことだ。

 国は内部被曝という言葉を知っていたんだと思ったら、白とも黒とも言われないで死んでいった友人たちの顔が浮かんできて。国から裏切られるとはこういうことなんだと。

 長崎で被爆した同級生は30、40代で次々と発病し、亡くなった。しかし、国は病気と原爆との因果関係を認めず、原爆症認定を却下していた。原発も、原爆も、根っこにあるものは核物質。そう考える土台が、日本人にはあると思っていた。

 被爆者たちは黙々と生きてきた。そういう国でありながら、平然と「今すぐの問題じゃない」という。この国の滑稽さ。何の学習もしてこなかったのか。

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 7月16日。何かに突き動かされるように、都心に向かう列車に乗った。脱原発集会が開かれる東京・代々木公園へ。人生2度目のデモに参加した。あふれる人波のなかで約1時間、立っていた。見知らぬ人たちの声が聞こえる。「これはこどもの命の問題なんです」。若いお母さんだった。

 これなんだと思った。経済や電気がどうとかいう前に、ここまで認識を下げて、覚悟をすることが最初。投げやりな気持ちになっている自分が恥ずかしかった。

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 林さんは人生の節目ごとに現場に足を運んできた。1999年は米ニューメキシコ州へ。45年7月に初めて核実験が行われた場所トリニティに立ち、最初の被害者は被爆者ではなく、大地だったと気づいた。

 沈黙の世界があった。人間ってこんなに不遜な、尊大なことをしたのか。

 この旅を「トリニティからトリニティへ」にまとめた。これで終わりのつもりだったが、旅行中にJCO臨界事故が起きる。帰国後に茨城県東海村へ。芋畑を耕す老人の日常を「収穫」で描いた。

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 原稿用紙数枚の裏にも表にも、書き連ねた言葉がびっしり並ぶ。「想定外?」「八十年生きてなお消化できない九日」「終章」……。次作の構想を林さんが語った。

 喜劇を書きたい。決してちゃかしてはいけない喜劇。心臓を一突きするような風刺を、死ぬまでにはなんとかまとめたい。
 (木村司)

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 はやし・きょうこ 生まれてすぐに中国・上海へ渡り、長崎へ戻った直後に被爆。1975年に「祭りの場」で芥川賞。2000年に「長い時間をかけた人間の経験」で野間文芸賞。8月10日に短編集「希望」が講談社文芸文庫から出版される。神奈川県逗子市在住。

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