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紙面から from Asahi Shimbun

【2012年の夏】
被爆の友へ、鎮魂の7年 81歳、「長崎の鐘」に通う毎日  (2012年8月9日 朝刊)

 長崎は9日、戦後67年の原爆の日を迎える。原爆が投下された午前11時2分、平和公園の「長崎の鐘」が鳴る。早崎猪之助さん(81)は7年前から、鐘のそばに立ち続けてきた。14歳の夏、焦土の中で助けられなかった友への鎮魂の思いを胸に。その体験を9日、アイスランドで語る。
 鐘のすぐ下に、学徒動員中に被爆死した友人たちを悼む碑がある。毎日数時間、早崎さんは碑や地面に何度も水を注ぐ。「水をいっぱいかけてくれませんか」と観光客に頼み、あの日の記憶も伝える。
 《1945年8月9日、三菱兵器製作所大橋工場。爆心地から1・1キロで奇跡的に生き残り、仲間の多くは亡くなった。廃虚で水を求める友や大人たちのうめき声が聞こえた。布団の綿をちぎって田に浸し、口元で絞った。30人近くに飲ませたが、みんな亡くなった。満足に水を飲ませてあげられず、殺してしまったのか》
 定年後に福岡から長崎へ戻り、再就職した。ふと立ち寄った碑に水はなく、花がしおれていた。友人たちの姿が浮かんだ。「時間ができた日はここに来よう」と誓った。
 74歳で仕事を退き、菊の花を手に通い始めた。いろんな出会いがあった。
 愛知県の男性は3年おきに、ここを墓参りの代わりに訪れていた。兵隊に出ていて助かったが、家族も家も失い、故郷を離れたという。「よう供養ばしてくれた」と手を握られた。多くの人が碑に花を手向け、水をかけてくれる。
 早崎さんは78歳で被爆語り部になった。平和公園で誘ってくれた先輩の語り部が半年後、がんで逝った。「自分もあと2、3年か」と思った矢先、福島第一原発の事故が起きた。原発の「安全神話」が、勝っていると信じ込まされた戦時中と重なった。米国人に「アメリカを憎んでいるか」と問われたことがある。「恨んでも友は生き返らない。それより、平和へのかじをとって」と答えた。
 アイスランドで被爆体験を語るため、5日に成田空港を発った。国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館が開く原爆巡回展の一環だ。人々の命を奪って苦しみを与え続ける原爆。そして、平和の尊さ。そのことを伝えたい。かの国では市民が長年、原爆の日に灯籠(とうろう)流しを続けていると聞いた。体験を語り、必ずこの言葉を添えたい。「ありがとう」
 (木村司)

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