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【2012年の夏】
核におびえぬ社会へ 「脱原発へ道筋を」 長崎被爆67年、平和宣言
(2012年8月9日 夕刊)
長崎は9日、戦後67年の原爆の日を迎えた。長崎市の平和公園で平和祈念式典が開かれ、原爆投下時刻の午前11時2分に参列者が黙?(もくとう)を捧げた。田上富久市長は平和宣言で核兵器廃絶を訴え、「放射能に脅かされることのない社会」を目指す考えを表明。原発に代わる新しいエネルギー政策実現への道筋を示すよう政府に求めた。
東京電力福島第一原発事故後の昨年、田上市長は歴代市長で初めて脱原発を主張。今回は政府に具体的な行動を迫った。原発から出る高レベル放射性廃棄物にも言及。「ため込んだ膨大な量の処分も先送りできない課題」と位置づけ、国際社会に解決への取り組みを呼びかけた。
福島の人たちに「放射能の不安におびえる日々が続くことに心を痛めている。長崎市民は寄り添い、応援し続ける」と誓った。
原爆の被害について、1945年末までに約7万4千人が亡くなり、生き残った人も放射線の影響でがんなどの発病率が高くなっている実情を指摘。「無差別に命を奪い、長年にわたり苦しめ続ける核兵器がなぜ禁止されないのか」と核兵器の非人道性を問いかけた。
核保有国に廃棄を義務づける核兵器禁止条約や締結が進む非核兵器地帯など、国際的な枠組みづくりの機運が高まっているとして、被爆国としてのリーダーシップ発揮も政府に求めた。
野田佳彦首相はあいさつで「核兵器廃絶に向けて、非核三原則を堅持する」と約束。原発事故にふれて「脱原発依存の基本方針の下、中長期的に国民が安心できるエネルギー構成の確立を目指す」と述べた。
2010年に国連事務総長として初めて長崎を訪れた潘基文氏は被爆地との連帯を誓うメッセージを寄せ、「核拡散防止の必要性を強調しながら、核兵器を究極の安全保障とたたえることはできない」と強調した。
式典には、政府代表が昨年初めて出席した米国から、ジョン・ルース駐日大使が参列。過去2番目に多い41カ国と欧州連合(EU)の代表が集まった。福島県からは全村避難を強いられた川内村の遠藤雄幸村長や、いわき市の中高生34人らも参列した。
被爆者の平均年齢は77歳を超えた。この1年間に3305人の死亡が確認され、原爆による死者は計15万8754人になった。
(花房吾早子)