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紙面から from Asahi Shimbun

【2012年の夏】
語り部、私が継ぐ 父の体験「学び、近づく」 長崎・原爆の日   (2012年8月10日 朝刊)

 子へ、孫へ、若者たちへ。惨禍を繰り返さないでという被爆者の願いを受け継ぐ動きが、さざ波のように広がっている。9日、祈りに包まれた被爆67年の長崎で、継承への確かな一歩が刻まれた。

 4歳の弟、6歳の妹、8歳の弟、10歳の妹、14歳の姉の名前を呼んだ。9日午前11時2分、平和祈念式典で長崎市の被爆者、池田早苗さん(79)は目を閉じた。5人の時間は67年前で断ち切られた。
 池田さんは31年前から、被爆語り部をしている。がんを患っても続けてきたのは、「きょうだい5人のことが忘れられてしまう」との思いがあったからだ。
 昨年6月、被爆遺構を案内した後に転んで、けがをした。語り部の仲間たちの訃報(ふほう)が次々と届く。野菜を届けに長女の佐藤直子さん(48)宅に寄ったとき、何げなく話した。「お父さんが語り部をできなくなったら、継いでくれんか」
 直子さんは引き受けた。大学まで11年間、放送部にいた。人前で話すのが好き。被爆体験記の朗読ボランティア講座に応募した。
 父は、どんな風に語っているのか。中学生に体験を話す場をのぞいた。
 「気絶するほどの閃光(せんこう)」「黒焦げの遺体」……。被爆後の光景を表現する父の言葉がわからない。直子さんは自宅で、父の体験記を何度も読み返し、朗読の練習を繰り返した。
 《弟を1人で火葬しました。関節をグギグギいわせながら燃えていきました》
 直子さんは長男の秀太君(13)に聞かせた。同年代の12歳で被爆した父の体験の重さを感じながら。
 語り部活動で家にいない父を「断れずにやっているんだろう」と思っていたが、それは間違いだった。自分と同じ目に遭う人を二度と生み出したくない。だから、語り続けているんだ。
 多くの被爆者の話を聴く。記録写真を繰り返し見る。そして、想像する。「とにかく学び、父の心情に少しでも近づきたい」
 父と娘は9日、平和祈念式典に参列した。語り部2世を目指す直子さんは初めて。「私が引き継ぐんだ」。さらに決意が強くなった。
 式典が終わり、池田さんは直子さんの自宅を訪ねた。9日は5人のきょうだいの命日で、直子さんの次男の良太君(8)の誕生日でもある。「じいじのきょうだいの代わりに生まれてきてくれた」と伝えた。
 良太君の小学校はこの日、平和学習の登校日。被爆当時の映像を見てきた良太君は「かわいそうだった」と話した。
 悲しいとは、どういうことか。人は何を守らなければならないか。被爆体験にふれて見つけてほしい。池田さんと直子さんは良太君を見つめた。
 (花房吾早子、木村司)

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