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紙面から from Asahi Shimbun

【2013年の夏】
(核といのちを考える 断絶を越えて) 異論排する空気、懸念 (2013年8月4日 朝刊)

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 被爆から68年。かつて広島市長として世界に向け核廃絶を訴えた平岡敬さん(85)は、反核の運動が岐路に立っていると感じる。

 「日本の核廃絶運動が同じ念仏を唱えるようなマンネリ化に陥ってないか」。議論を避け、異論を排する運動の「聖域化」が見え隠れすると感じている。」

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 6月5日、東京。日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の定期総会。運動方針の質疑で、ひとりの被爆者が発言を求めた。
 「日本をどう守るのか。一歩踏み出した議論が大事じゃないか」

 岡山県原爆被爆者会副会長の佐藤徹夫さん(73)。核軍備を進める北朝鮮や、緊張が続く中国に日本がどう対応すべきか、護憲を掲げる被団協執行部らと意見を交わしたかった。

 5歳の時、広島市の爆心地から約3キロの自宅前で被爆。熱線に焼かれ、さまよう人の姿を忘れられない。

 核廃絶を一貫して訴える被団協の活動には意義があると思うが、行き詰まりも感じている。世界には今も1万7千発の核弾頭がある。被団協が広島、長崎両市と目指す「2020年に核廃絶」の目標は実現できるのか。「世界から核をなくす被爆者の訴えは広がっていない」と思う。

 総会での発言は改憲論につながると警戒されたのか、答える人はいなかった。佐藤さんは嘆く。「国際環境の変化で日本でも核武装の議論が力を持ちかねない。そうさせないためにも議論を重ねるべきだ」

    *

 08年10月、広島の原爆ドーム上空。飛行機雲で「ピカッ」の文字が描かれた。仕掛けたのは、東京を拠点とする芸術家集団「Chim↑Pom(チンポム)」。原爆ドームと文字を組み合わせた映像作品で、平和と原爆の意味を問い直すのが狙いだった。

 しかし、地元紙やネットで「被爆者の気持ちを考えていない」などと批判を浴びた。リーダーの卯城(うしろ)竜太さん(35)は「被爆者やその遺族、家族の方に事前の告知を徹底すべきだった」と謝罪したが、広島での個展は中止せざるを得なかった。

 広島市でギャラリーを経営する木村成代(しげよ)さん(51)は「ピカッ」を現場で見た。「不思議だったが不気味とは思わなかった」。チンポムへの批判を「ピカッの言葉は被爆者しか使ってはいけないと言っているように感じた」という。

 チンポムはその後も福島の原発事故など核をめぐる表現を続けている。木村さんは今年7月、「平和とは何かを気づかせる警告になる」と考え、チンポムに広島での展覧会を提案した。

 誘いを受けたチンポムは「一方通行じゃなく、これを機会に一歩前へ進めたい」と考え、市内の学生ら約20人に絵画の制作に協力してもらった。卯城さんは語る。「みんなが核を『誰かの問題』だと思ってこなかったか。一人一人が自分と平和や原爆の関係を問い続けることが大事じゃないか」

 「異論を排除すべきではない」。平岡さんもチンポムを批判した「空気」に懸念する。「平和を訴える『ヒロシマの思想』を鍛えるためには、主張や世代の違う人とも意見を戦わせ、一緒に考えるしかない」

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