english

ここから本文エリア

紙面から from Asahi Shimbun

【2013年の夏】
(核といのちを考える 断絶を越えて) 語り部老い、継承の危機 (2013年8月5日 朝刊)

写真

 7月17日、長崎市の長崎原爆資料館。市の関係団体に所属し、修学旅行生らに被爆体験を伝える語り部たちが顔をそろえた。被爆経験のない人に語り部を任せられるかについて、意見を交わすためだった。

 39人の語り部はすべて被爆者。平均78・3歳で、この日も10人が体調不良などで欠席した。まとめ役の末永浩さん(77)は「被爆者が高齢化するなか、体験をどう継承するか。待ったなしの課題だ」と語る。

 「体験のない人が話すとなると難しい」。反対したのは、丸田和男さん(81)。13歳の時、爆心地から1・3キロの自宅で被爆。母親を亡くし、自らも死線をさまよった。「けがをし、肉親を失った被爆者の体験こそが子どもたちに伝わりやすい」と強調。4歳で被爆した小峰秀孝さん(72)も、体験がない人の採用について「うまく話そうとして事実が誇張されないか」と不安を口にした。

 一方、動員先の工場で被爆した早崎猪之助さん(82)は「我々ももう長くはない。体験していない方にも体験者になった気持ちで話をしてもらえれば」と話した。語り部たちの賛否は割れ、結論は出なかった。  ただ、反対する丸田さんも「被爆者は、いずれいなくなると如実に感じた。考えは揺れています」と言う。全国で被爆者健康手帳をもつ人は3月末で20万1779人。この1年で約9千人が亡くなった。

    *

 広島大学名誉教授の葉佐井(はさい)博巳さん(82)は5年前から、被爆体験を語る活動を始めた。しかし当初はためらいがあったという。

 葉佐井さんは原爆投下翌日の8月7日、広島に入った「入市被爆者」。「原爆の惨禍を直接体験してない自分が語ってもいいのか」と感じていたが、いまは「被爆者はどんどん減っていく。引け目を感じている私も口を開かないと」と考えている。

 体験がなくても、原爆の記憶を伝えられないか。長崎市の市民団体「ピースバトン・ナガサキ」は5年前から、小中学校で原爆を学ぶ出前講座を始めた。メンバー12人のうち9人は被爆の体験がない。  年15回ほど小中学校を巡回。原爆の構造や原爆投下に至る歴史を紙芝居やスライドで説明し、被爆者の手記を朗読する。メンバーの松田斉さん(57)は「被爆者にしか語れない体験談に加え、私たちが歴史などの背景を説明すれば、子どもたちに原爆の悲惨さがより伝わるはずだ」と思う。

    *

 ポーランド・オシフィエンチム。ユダヤ人が大量虐殺されたアウシュビッツ強制収容所の悲劇を伝える国立博物館で公認ガイドを務める中谷剛さん(47)はこの夏、広島、長崎の被爆者8人が体験を証言する旅に同行し、アウシュビッツを案内する。「彼らの話を聞き、自分の役割を再認識できれば」と話す。

 16年前、試験を突破し、外国出身で初のガイドになった。博物館には毎年約150万人の見学者が訪れ、15〜25歳が75%を占める。ここで「よそ者」がガイドをする意味について、中谷さんは語る。「世代や国を超え、語り継がねばならない重い歴史がある。私は体験者の『口』に徹する。そのメッセージを見学者に理解してもらえれば」

《2013年の夏》 記事一覧