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紙面から from Asahi Shimbun

【2013年の夏】
(核といのちを考える 断絶を越えて 矛盾直視する若者たち (2013年8月6日 朝刊)

 4月24日、スイス・ジュネーブ。核不拡散条約(NPT)再検討会議の準備委員会で、日本は核兵器の非人道性を訴える共同声明に署名しなかった。米国の核の傘に依存する安全保障政策への配慮からだった。

 その日の夕方、ジュネーブの日本政府代表部の前で各国のNGO関係者らが「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ」と訴え、デモ行進をした。列の中には長崎から派遣された「ナガサキ・ユース代表団」の若者たちもいた。

 代表団は準備委員会の会期中、国連欧州本部の内外で「長崎を最後の被爆地に」との願いを訴えた。政府が署名しなかった結末にもどかしさが募った。

 声明の賛同国から日本に向けられた視線は厳しかった。長崎大生の江島健一さん(25)は2日後、面会したニュージーランド大使にこう指摘された。「市民社会がもっと日本政府に圧力をかけるべきだ。あなたたちは若く、未来を担う」
 メンバーは自らの非力さとともに、息の長い努力が必要と感じて帰国した。

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 シンガポールの財団職員、畠山澄子さん(24)は4年前に留学した英国での体験が忘れられない。
 19歳だった2008年、被爆者たちが世界を巡って体験を伝える活動に通訳として参加した。翌年留学した英国の大学寮で、被爆証言の記録映像を上映した。「被爆者の思いを伝えたい」と考えた。しかし、英国人の反応は冷たかった。「日本も米国の核の傘に頼っている」。核に依存する被爆国の矛盾を突かれたとき、きちんと反論できない自分に気づかされた。  福島の原発事故後、「平和利用」も含めた日本の核政策をもっと知りたいと感じた。今夏、日本の脱原発団体の研究職に応募した。「核の恐怖を知りつつ核への依存を深めた日本の姿を学び直したい」と語る。

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 「唯一の被爆国という言葉は外国人にはまっすぐ届かない」。千葉出身の大学院生宮野史康さん(26)もそう感じている。
 3年前に留学した米国で、核廃絶の活動を続けるNGOのスタッフとして働いた。宮野さんが「日本は原爆で被害を受けた。核はなくすべきだ」と話すと、米国人の友人からたしなめられた。「君は自分の国のことしか見えていない。人類的な惨事は数多くあった」。世界の歴史のなかで日本の被爆をどう位置づけるか。相対的な視点を持つべきだと指摘された。

 宮野さんは昨年、オーストラリアでNGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」のスタッフとして「核は壊滅的な人道被害をもたらす」と訴える英語の小冊子の和訳に取り組んだ。冊子は今春、日本で出版された。

 冊子は原爆のほか、世界各地の核実験や福島の原発事故に触れている。日本語版では日本を「核兵器依存国」と表現し、こんなメッセージがつづられている。
 「日本を世界はシビアな目で見ている。核兵器の禁止に向けて行動を起こせるか、被爆国の真価が問われている」

 宮野さんは来春、広島の地元紙に就職する。新聞記者として「核廃絶への地道な取り組みを伝えていきたい」と考えている。=おわり

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