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紙面から from Asahi Shimbun

【2013年の夏】
丸山真男が語った被爆体験 <要旨> (2013年7月31日 朝刊)

 8時の朝礼で、点呼の後に司令部の塔の前で参謀の訓話を聞いていた。突然、目がくらむほどの閃光(せんこう)が走った。参謀の軍帽がプーッと飛んだ。背中に圧力を感じたような記憶がある。壕(ごう)から泥だらけではい出した。司令塔の真後ろに、きのこ雲を見た。話にならないほど巨大で、ゆっくりゆっくり、立ち上っていく。

 食堂のおばさんが、顔を血だらけにして運ばれていった。着物がぼろぼろになったり、頭にガラスの破片が刺さったりしている市民が流れ込んできていた。背中の皮がむけた人の上に太陽がさんさんと照りつける。その日、何をしていたのか、全く覚えていない。

 7日は救護で動員があり、一人で留守番していた。短波をいじっていた。偶然、トルーマンの放送が入った。「歴史上最初の原子爆弾を投下した」という。メモに書いて、参謀室に持って行った。

 市内を歩いたのは9日。至る所にテントがあり、やけどの傷(に薬)を塗ってる。死体はきれいに一列に並べられていた。

 原爆の意味をもっと考えなかったことは懺悔(ざんげ)です。日本自身がどうなるか分からないという事態の方に注意を奪われた。司令部前の広場に横たわった何百という人の悲惨なうなり声が、今でも耳に聞こえる。にもかかわらず、念頭にないのか、意識の下に無理に追い落とそうとしたのか、あれだけ戦争については論じたが、原爆を論じなかった。僕は、至近距離からの傍観者にすぎない。

 今日でも新たに原爆症の患者が生まれ、長期の患者、あるいは2世の被爆者が白血病で死んでいる。いわば、毎日原爆が落ちている。広島は毎日起こる現実で、毎日新しく我々に問題を突きつけている。

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