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紙面から from Asahi Shimbun

【2013年の夏】
被爆者治療の日々、世界に 父の回想録を英訳、電子出版 (2013年8月3日 夕刊)

 原爆投下直後の広島で被爆者の治療にあたった軍医がいる。原爆の日を前に、その体験をつづった回顧録を、息子が英訳して電子出版した。「原爆の惨禍を世界に伝えてほしい」。父の遺言だった。

 出版したのは東京都練馬区の錫村寛海(すずむらひろみ)さん(69)。父の満さんが、生前に自費出版していた「似島(にのしま)原爆日誌―若き軍医の回想録」を英語に翻訳した。

 大戦中に陸軍に召集された満さんは軍医学校を卒業後、1945年6月、広島港の南3キロに浮かぶ似島の検疫所に配属。2カ月後の朝、広島市方面に立つ巨大な火柱を目撃した。直後から島には、計1万人とも言われる被爆者が搬送され、満さんは1カ月間にわたり治療にあたった。

 寛海さんは名古屋で過ごした中学時代、毎年8月になると、父が何日か家を空けることを不思議に思った。大人になって、父が執筆に向けた資料収集のために広島に通っていたと知った。父は86年、似島での体験をまとめた記録を出版した。寛海さんに本を手渡した父は「英訳して世界に伝えてくれたらうれしい」と依頼。その約2年後、満さんは69歳で亡くなった。

 寛海さんは自動車販売会社を退職するまで、営業マンとして世界各国を飛び回っていた。何度か英訳に手をつけようとしたが、忙しくて進まずにいた。2009年になって、本を手にして父の回顧録に登場する場所を訪ね歩いた。  「真っ黒な皮膚が、夏シャツをひっぱるようにズルリと=iむ)けて血を噴いた」「患者は、朝気がついたら毛髪が抜けていたと(中略)前髪の一部をつかんでひっぱってみせた」

 悲惨な体験をつづった記録は、適した訳がなかなか見つからない。苦労してアルファベットに変えていくうちに、「父の思いが世界に伝わる」と感じ始めた。

 被爆者援護法では、救護従事者も被爆者として認定されるが、父が被爆者健康手帳を持っていたのか、聞いたことはない。寛海さんは英訳を終えて「なによりオバマ米大統領に読んでほしい。世界の為政者たちに、核兵器を持っていて何の意味があるのかと問いたい」と話す。(宮崎園子)

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 英訳版「Atomic Bomb Victims on Ninoshima−Diary of a Young Surgeon」の電子化は朝日新聞国際本部が手がけ、http://ninoshima.snack.ws/で公開している。

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