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紙面から from Asahi Shimbun

【2013年の夏】
戦争知ったかぶり、やめないか 国内外50超の博物館訪ねた社会学者・古市憲寿に聞く (2013年8月6日 夕刊)

写真 社会学者。東大大学院博士課程在籍。著書『絶望の国の幸福な若者たち』など。世界各地の戦争博物館を巡って書いた『誰も戦争を教えてくれなかった』(講談社)が7日に出版される。

もうすぐ敗戦から68年を迎える。戦争の正しい「記憶」を巡っては、今なお議論が喧(かまびす)しい。そんななか、社会学者の古市憲寿(のりとし)(28)は「知ったかぶりして、戦争を語るのはやめませんか?」と問いかける。この3年間で国内外50超の戦争博物館を訪れ、実感したのは戦争を知らないことの希望――。それって何ですか?

 2010年から韓国・天安の独立記念館、中国の南京大虐殺記念館、国内では広島平和記念資料館など、世界各国の戦争博物館を取材してきた。きっかけは、観光で訪れたハワイで「暇だから」足を運んだ「アリゾナ・メモリアル(アリゾナ記念館)」だ。

 「犠牲者を弔い、あの戦争を肯定する空間だった。そこでは日本への過度のバッシングもなくて、ただ、勝利を祝う。同じ戦争でも、こうも違うのかと」

 ●国の意志透ける
 展示から見えてきたのはその国の戦争観だ。中国や韓国ならば、「ひどい日本の侵略にどう打ち勝ち、今の繁栄につなげたのか」。単純に物語化され、来た人が飽きないよう、「楽しめる」展示になっていた。「現代アート風に表現したり、『独立戦争体験コーナー』があったり。韓国では独立軍歌にあわせて踊り、敵兵を射撃して倒すコーナーもある」

 日本と同じ敗戦国ドイツは、街の中心地に戦争の悲劇にまつわる数多くのモニュメントがあり、そこに住むだけで、戦争の記憶を想起させられる。ユダヤ人らが入れられた収容所跡もできる限り当時のままで残すなど、「ナチスを生み出した国家としての明確な意志が伝わってくる」。]

 では、日本はどうか。「意図的に排された物語のなさ。博物館としては、無味乾燥で面白さに欠ける」という。加害や被害の記憶を物語にせず、淡々と事実を列挙していく。沖縄や広島ですらそう見えたといい、広島の平和記念資料館も、「写真の存在によって、悲惨さは伝わってくるが、その歴史的な意味はこうだというストーリーはない。悲惨さは写真の力であって、博物館の展示の力ではないんです。いろんな政治的な立場への配慮の結果なんでしょうね」。

 国家として歴史を一つに確定させたくない――。日本という国家の意志が垣間見えてくるという。

 ●暴走するよりも
 ならば、今から国家の歴史を一つに確定するべきなのか。「もう現実的ではない」とみる。敗戦から70年近く経ち、直接体験した人は少ない。しかも、体験の「生々しさ」が残る戦後直後に、記憶を残す試みをほとんどしてこなかった。「日本には原爆ドームをのぞくと、そうした『生々しさ』を残した場所がないんです。無理に戦争の記憶を一つに確定させようとしたって、根拠のない『暴走』になりかねない」  NHK放送文化研究所が実施した調査によると、「広島に原爆が落とされた日」を覚えている20〜30代は25%。だが、実は60代以上も、26%だ。最も長く戦った相手国を聞いても、若者の数字が極端に低いわけではない。「世代に関わらず、戦争をもう知らない。なのに、無理して、あの戦争の記憶を肯定的に語ろうが、否定的に語ろうが、むなしいだけ」

 ほとんどの人には、「校長先生が語るあいさつ程度」のリアリティーしか持ち得ないと思う、という。

 でも……と続く。「それって悪いことでしょうか。失われた記憶を無理に一つにしようとするより、とりあえず70年近く、平和でやってきた記憶は共有されている。そこから始めればいい。今後、他国だって、記憶は失われていく。戦争を知らないもの同士の方が今よりうまくやっていける気がする。のんきに聞こえるかもしれませんが、それって希望だと思うんです」

 (高久潤)  

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