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紙面から from Asahi Shimbun

【2013年の夏】
 松江市教委事務局、拙速な 「転換」 検証 「はだしのゲン 」が消えるまで (2013年8月27日 夕刊)

 漫画「はだしのゲン」の閲覧制限は、松江市教育委員会事務局の手続きに不備があったという理由で撤回された。同市内の小中学校の図書室から「ゲン」が消えるまでに何があったのか、検証した。

 ●春・撤去の陳情 「重要教材」当初は認識
 「子どもに間違った歴史認識を植え付ける」

 松江市教委が「ゲン」について「対応」を始めたのは、昨年4〜5月、当時市内在住の自営業男性(35)が3回にわたり市教委を訪れ、小中学校の図書館からゲンを撤去するようしつこく求めたことだった。

 うち1回は、京都市の朝鮮学校の授業を街宣活動で妨害した事件で有罪判決を受けた「在日特権を許さない市民の会」の元幹部らが同行。男性らはその様子を動画投稿サイトに投稿し、見た人たちから市教委に抗議電話が殺到するなど、「一時は業務がマヒ状態になった」(教育総務課長)。

 だが、この時点で市教委事務局にゲンを問題視する考え方はなかったという。「はだしのゲンは平和学習の重要な教材であり、外部の圧力から守ることで一致していた」(当時の教育長)

 その後、男性が陳情を市議会に出し、9月、市議会の教育民生委員会で審査されると、当時の副教育長はこう答弁し、撤去を否定した。

 「はだしのゲンは戦争の悲惨さを伝えたり、生命の大切さや生きるたくましさを考えさせたりすることもできることから、作品全体を通して評価すべきだ」

 ●秋・空気が一変 通読「子に見せられぬ」
 空気が変わったのは、委員会が継続審査とし、市教委幹部5人が「議会対策」としてはだしのゲン全巻を通読したときだったという。

 5人のうち2人は小学校の元教員で、ゲンを平和学習の教材として使ったことがあったが、全巻を読むのは初めて。「これが同じ作品かとショックを受けた」(当時の副教育長)。「自分の子どもには見せられない描写だと思った」(教育総務課長)

 5人が共通して問題視したのが、10巻にある旧日本軍の戦場での行為にかかわる描写。最も敏感に反応したのは女性である当時の教育長だった。「こんな描写を発達段階の子どもに見せていいのかと、児童の目から遠ざけることだけしか考えられなくなった」

 5人はゲンの対応を検討。全巻まとめて子どもの目につかない場所に移すよう各校長に「要請」する方針が決まった。

 当初は「過激な描写」を含む巻に限って対応する案も出たが、「絞って対応すると墨塗りや検閲をしているような印象を与える」という意見が出され、立ち消えになったという。「ゼロか百かの対応しかないと思っていた」(当時の副教育長)

 11月26日に開かれた委員会は「議会が判断することには疑問がある」として、撤去を求める陳情を全会一致で不採択とした。それでも教育長は、閲覧制限の方針を変えなかった。「市教委独自で問題点を認識した以上、対応をとらねばと焦っていた。市議会の不採択の判断も、市教委にボールを投げたものだと受け止めた」(当時の教育長)

 ●冬・閉架を要望 教育委員に報告せず
 閲覧制限の方針は、教育委員に報告されることもなく、実行に移される。

 「学校図書の運用を少し変えるだけで、大きな問題になるとは思わなかった」(当時の副教育長)

 昨年12月17日の校長会で、市教委事務局は「お願い」という形で、小中学校に閉架措置を求めた。翌年1月上旬の校長会でも「校長の対応がまちまちで、現場の司書が困惑している」という理由で「お願い」が繰り返された。

 校長側からも目立った異論は出ず、ゲンは子どもたちの前から消えた。

 閲覧制限の決定を主導した当時の教育長ら市教委幹部5人。取材で浮かび上がったのは、作品を高く評価していた市教委幹部が、議会対策として通読するうちに問題点を「発見」し、子どもたちが自由に読書する権利をどう考えるかという問題に思い至らず、閉架措置へ突き進んだ姿だった。

 ◆密室で判断、最大の問題
 <電子書籍などに詳しいITジャーナリストのまつもとあつしさんの話> 松江市教委事務局の対応は、一市民の威圧的な要求に屈したというものではなかった。しかし、陳情をきっかけに行政がゲンの「暴力・性的描写」に目を向け、「子どもを守る」という大義名分の下で、結果として陳情者が望む方向に進んだ。図書へのアクセス権の制限という民主主義の根幹にかかわるテーマだという認識が欠けたまま、密室で判断したところに最大の問題点がある。今回の反省を生かさなければ、同様のことが繰り返される可能性がある。

 ◇はだしのゲンとは
 はだしのゲンは、6歳の時に広島の爆心地から1・3キロで被爆し、父や姉、弟、妹を亡くした漫画家の中沢啓治さん(昨年12月に死去)が自身をモデルにして描いた作品だ。  物語の始まりは終戦直前の広島。食糧難に苦しみながらも、家族で助け合いながら明るく生きる姿が描かれる。原爆投下直後の場面は、熱線で皮膚を焼かれた人たちの生々しい姿を描き、連載当時「あれは実話ですか?」という手紙が相次いで寄せられた。

 物語は被爆8年後の53年、ゲンが上京する場面で終わる。その直前、朝鮮戦争の影響もあり、広島でも核兵器や戦争をめぐる政治論争が盛んになり、労働争議も相次いでいた。

 ■妻ミサヨさん、作者の思い語る きれいな戦争はないんだ・テーマは踏まれても伸びていく麦  松江市教委事務局が「暴力的で過激な描写」と問題視し、閲覧制限を求める理由としたのは「はだしのゲン」10巻に登場する旧日本軍兵士の中国戦線での行為にかかわる描写だった。昨年12月に死去した中沢啓治さんはこの場面をどんな思いで描いたのか。中沢さんのそばにいて、「ゲン」の背景描きを手伝った妻のミサヨさん(70)が朝日新聞に語った。

 兵士が中国人男性の首を面白半分に切り落とす。妊婦のおなかを切り裂き、赤ん坊を引っ張り出す――。今から30年近く前、主人がこの場面を描いたとき、私もショックを受け「残酷すぎるのでは」と言いました。主人の答えは「きれいな戦争というのはないんだ。戦争の残酷な実態を知らせなければ、子どもに戦争というものが伝わらない」。戦争の恐ろしさに小さな頃から触れ、大人になって戦争を防ぐ方法をじっくり考えてほしいというのは、死ぬまで変わらぬ思いでした。

 自分が体験した被爆の場面でも、いろんな資料を集めて描いていましたが、体験のない戦場の場面を描くときは、特に多くの資料や文献を読み込んでいました。描けば批判が来ると覚悟していました。「ゲンはぼくの思いを託しているのだから、ヘンなことは描けないんだ」と言っていました。

 戦場の場面は数コマにとどめて場面転換させ、被害女性の身体は黒く塗り、表情を消して生々しさが出ないようにする。子どもに読ませるにはどこまで表現したらいいかと悩み、工夫を重ねました。

 ゲンの表現が、後半になるほど社会的なものになるというのは事実です。それは自分の分身であるゲンが成長するにつれて、こんなことになったのは誰のせいだと悩むからです。その姿は戦後になっても復興から取り残され、差別され続けた被爆者の怒り、つらさを投影しています。「戦争責任を言わないと、被爆者は泣き寝入りになる」と言っていました。

 ゲンは読みたい子には読ませたらいいし、読みたくない子に無理に読ませなくてもいい。ただ、トカゲのしっぽをちょこっとつかむように、戦争の実態を伝える一部の描写を問題にされ、子どもたちの目につかないところに隠されたのは残念でなりません。

 実は、ゲンの一番のテーマは、踏まれても踏まれてもまっすぐ伸びていく「麦」です。そんな成長物語の背景に戦争と原爆がある。たたかれたり、いじめられたりしても、精いっぱい生きていればいいことがあるという主人がゲンに託したメッセージは、今の子どもたちの心に響くものがあると信じています。

 ゲンの発表の場は、週刊少年ジャンプから、政党・労組系の機関誌へと移りましたが、最後まで少年誌の「はだしのゲン」の延長として描き続けました。政党に入れと何度も勧誘がありましたが、自由にものを考えられなくなると拒絶し、無党派を貫きました。主人らしい生き方だったと思います。  (聞き手・武田肇)

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