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紙面から from Asahi Shimbun

【2014年の夏】
(核といのちを考える 遺す)見えぬ恐怖、69年苦しんだ (2014年8月3日 朝刊)

自宅のベッドに横たわり、放射線への恐怖を語る山口シマ子さん

数々の病名が書き込まれている山口さんの被爆者健康手帳=いずれも兵庫県明石市、奥村智司撮影

自らが所属した海軍の部隊を描いた本を手にする小野柳次さん=岐阜県養老町、伊藤智章撮影

●映画館勤務
 病気との追いかけっこ。山口シマ子(94)はベッドの上でつぶやいた。一人娘の長女(65)と暮らす兵庫県明石市のマンション。横たわる山口のそばには、被爆者健康手帳があった。

 「8月12日夜中から高熱と下痢」「9月中旬頃のどが痛く食事も出来なくなり……」。被爆当時の急性症状を記した欄の下には、2005年に手帳を更新した際に山口が書いた病の名がびっしりと並んでいた。肝臓炎、虚血性心疾患、膀胱癌(ぼうこうがん)、脊柱(せきちゅう)変形……。その数は12におよぶ。

 「この69年で楽だったのは、合わせても1年くらいやね」。甲状腺の手術の痕が見えないよう、使い込んだスカーフを首に巻いた山口は言った。枕元には、心筋梗塞(こうそく)の再発に備えたニトログリセリンの錠剤が置かれていた。

 69年前の1945年8月9日朝。25歳だった山口は長崎市内の自宅から勤め先の映画館に向かおうとしていた。米軍が落とした原爆は長崎市の上空約500メートルで炸裂(さくれつ)。爆風と熱線は街を一瞬で破壊した。

 山口の家は爆心から約800メートル。倒壊した家の下敷きになったが、何とかはい出した。手当てが必要なけがはなかった。ところが、3日後から下痢が続き、9月に入ると40度近い高熱が続いた。2週間ほど起き上がれなかった。見えない何かが体をむしばむようで、恐怖だけが募った。「あれが地獄の始まりやった」。山口は言う。

 翌46年、熱心に看病してくれた博俊と結婚。同僚の知人だった。博俊の仕事の関係で関西に移住し、幸せになるはずの生活は山口の闘病の日々に変わった。十数年後の62年、神戸医科大(現・神戸大医学部)の医師に言われた。「あんた、原爆うけとんのやな。甲状腺もそのせいと違うか」。自分を苦しめる「見えない恐怖」の正体が原爆の放射線だと分かった。

 3度の流産を経て長女を授かったが、その娘が産んだ長男は16歳の時に心臓発作で急死した。「私のせいではないか」。山口は自分を責めた。

 給料の半分を山口の治療費にあててくれた博俊も8年前、87歳で逝った。同じ被爆者。40代の頃から、いつも体のどこかの不調を訴えていた。

 「原爆に遭ってなかったら、どんな人生だったろうか」。家族以外に初めて体験を詳しく話したという山口は遠くを見つめた。「原爆は、人が人らしく生きることを許さないんよ」

   ■ □ ■

●呉の海軍部隊
 下痢・熱、体重半減30キロ
 核兵器は市民を無差別に殺傷するだけではなく、極めて深刻な放射線被害をもたらす。放射線を大量に浴びると細胞の中の遺伝子が傷つき、がんになりやすくなる。被爆から数十年後に発症するケースもあり、不安におびえながら歳月を重ねてきた被爆者はあまりに多い。

 30キロ。小野柳次(りゅうじ)(89)が海軍を除隊した45年9月当時の体重だ。4カ月前は倍の60キロだった。

 小野は広島・呉の陸戦部隊にいた。8月6日朝、約20キロ離れた広島市の方角で爆発音がして、キノコ雲があがった。翌日、部隊の約1500人が入市した。小野たちは広島駅周辺のがれき撤去にあたった。

 駅舎の2階からは、死体がぶら下がっていた。路上に並べられた人は「熱い」「痛い」「殺してくれ」と叫んでいた。だが、小野たちが受けた命令は人命の救助ではなく、速やかな交通機関の復旧。そして作業が終わると、息絶えていく人のそばで雑魚寝した。

 2〜4日間の作業だったが、呉に戻った小野らは苦しみ始めた。下痢が続き、高熱にうなされ、やせこけていった。除隊した小野は実家がある岐阜にかえり、療養。体重は数年でもとに戻ったものの、めまいや腸の不調に長く悩まされた。

 この69年間、放射線の恐怖にさらされ続けた。夏が巡ってくると、体調がいつも悪くなる。「放射線は生涯ついてまわり、ずっと人を苦しめる」という小野。核兵器がなくならない現状に「戦争になったら、どうなってしまうのか。若い人は分かってほしい」と求めた。
 =敬称略

◆次男の病死、自分を責め
 被爆者の記憶(今の居住地、被爆地、氏名・年齢、当時の職業・肩書)

 ■札幌市北区(広島) 安井晃一さん(90) 陸軍船舶通信隊員
 30歳で肺結核がわかり、その後も心筋梗塞(こうそく)、変形性腰痛症、すい炎、急性肝炎、腎臓病を患った。入退院を繰り返し、生きがいにしていた中学校教員も辞めた。娘2人に原因不明の脳の障害が出て、原爆のせいかと心配した。

 ■秋田県横手市(広島) 小山春雄さん(90) 陸軍教育中隊員
 広島から帰郷した後、医者から白血病と診断された。次第に放射線の影響があると分かり、これからの生活がどうなるのか、恐怖と不安に襲われた。手術を繰り返し、現在までなんとか生きている。

 ■長崎市(長崎) 中村キクヨさん(90) 主婦
 55歳の次男を白血病で亡くした時、医師から「あなたの被爆が理由かもしれない」と言われた。長男と違って母乳をたっぷりあげたからかと思い、朝も晩も仏壇に「ごめんね」と手を合わせ、泣きはらした。

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