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紙面から from Asahi Shimbun

【2015年の夏】
(核といのちを考える 被爆70年) 元研究所職員の作品、広島市に寄贈へ (2015年7月14日 朝刊)

写真 夫の故・佐々木寅夫さんの作品「回帰(似の島発掘)」のそばで語る妻の怜子さん=広島市中区

写真 故・佐々木寅夫さん

 広島と長崎に原爆を投下した米国は戦後、両都市に研究機関「原爆傷害調査委員会(ABCC)」を置いた。現在は放射線影響研究所(放影研)となったこの施設で働き、被爆者の苦悩などを描き続けた職員がいた。「夫の警告を伝え続けてほしい」。今は亡き職員の妻は思いを継ぎ、作品を広島市に寄贈する。

 寄贈するのは7年前に70歳で亡くなった佐々木寅夫さんの妻・怜子さん(75)=広島市。佐々木さんは1960年、22歳で広島のABCCに入り、放射線の影響を調べる解剖のための遺体提供を被爆者の遺族に頼む仕事をした。佐々木さんの手記などによると、遺族にののしられることもあったが、「後世に役立つ」という思いで約20年間続け、約1万人の遺体と向き合った。

 花などの静物を描くことが好きだった佐々木さんは在職中、被爆者の悲しみや放射線への不安を表現するようになり、100点以上の作品を手がけた。その原点が原爆投下直後に約1万人の被爆者が運ばれた似島(にのしま)(広島市)での遺骨発掘作業(71年)。佐々木さんも手伝い、次々と被爆者の骨や遺品が見つかった。

 人々を悼み、佐々木さんは82年、「回帰(似の島発掘)」(縦約120センチ、横約90センチ)を描いた。佐々木さんの死後、怜子さんは似島を訪れ、発掘跡地が「慰霊の広場」となったことを知った。近くの市似島臨海少年自然の家では、子どもたちが平和について学ぶ。「ここなら絵が生きる」と寄贈を決めたという。

 怜子さんは「被爆者の不安や苦痛の風化を少しでも食い止められれば」と話している。
 (岡本玄)