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紙面から from Asahi Shimbun

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核なき世界へ 被爆国から2013(3)  
 歌手 加藤登紀子さん   (2013年1月31日掲載)

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 ■命を脅かすものは不要

 私は大陸で生まれ、思春期のころ、侵略者の子どもなんだと悩みました。被爆国であり、戦争の加害国でもある。自分もその当事者だという責任から逃げてはいけないと思ったのです。

 「日本を守る」とか、国に顔があり命があるようによく言うでしょう、でも逆なんです。人々の命がありそれを守るのが国であるはずなのに、国を守るために人々の命を犠牲にするという歴史が繰り返されてきた。第2次世界大戦もそう。国が前面に出て、みんなが国、国と言うときは危険なんです。

 終戦の時は1歳7カ月で、記憶はないけれど、戦争という時間に自分の人生が少しだけ引っかかっていることが、その後の人生の大切な足がかりになりました。

 1960年、高校2年の時、初めて日米安保改定反対のデモに参加して、自分と同じ考えの人がいることに感動しました。しかし、学生運動は社会を動かせなかった。みんな敗北感を持ちすぎて、あきらめ、雪崩を打つように経済成長の担い手になった。それでも私は生活者の側に居続けたいと思い、歌ってきました。

 私が生まれる1年前の42年12月、米国の物理学者が人類で初めて核分裂の連鎖反応に成功し、原爆の実用化につながった。私と核はほとんど同じ年齢なんです。それまで核は使われていなかった。こんな短い間に、取り返しのつかない未来への負の遺産をつくってしまったんです。

 核兵器廃絶も脱原発も「命を危険にさらすものをなくしたい」という意味で同じだと思います。人は命として誕生し、愛し合って次の命を産み、それを育む。国がどんな状況になっても、そうして社会はつながってきた。それが人の一番大切な仕事です。核は必要ないんです。(聞き手・花房吾早子)

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 かとう・ときこ 1943年、中国・ハルビン生まれ。歌手。65年、東大在学中に歌手デビューし、71年、「知床旅情」で日本レコード大賞歌唱賞。夫の故藤本敏夫氏が開設した千葉県の農園「鴨川自然王国」を引き継ぎ、東日本大震災の避難者を受け入れている。