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紙面から from Asahi Shimbun

聞きたかったこと

 「聞きたかったこと」は、朝日新聞広島県内版で2008年4月に始まりました。記者が被爆者の人生をたどり、その思いを聞いています。被爆者としての人生を強いられた人の言葉は、「核時代」を生きる私たちの警句でもあります。東日本大震災を経ての思いにも迫ります。原則週1回の掲載で今も続いています。収録にあたって、年齢・肩書は掲載時のままとしました。

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    被爆翌月、山津波襲う  上松 利枝さん(79)

     1945(昭和20)年9月17日、被爆地・広島を襲った枕崎台風。県内の死者・行方不明者は2558人にのぼった。江田島市江田島町の切串地区は山津波で多くの家屋が流され、145人が犠牲になった。同地区に住む市原爆被害者の会副会長の上松利枝さん(79)はその「切串大水害」で、父と妹を亡くした。 ……

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    河原一面に瀕死の人 加藤 和巳さん(83)

     誰にも、忘れられない時や場所があるはず。東京都新宿区に暮らす加藤和巳さん(83)にとってそれは、被爆当日の夜に野宿した自宅近くの河原だった。昨年の平和記念式典に参加した後、68年ぶりに勇気を振り絞ってそこを訪ね、手を合わせ、ただ祈った。15歳の少年のまぶたに焼きついたこととは――……

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    再会、父の記憶たぐる  萬田 泰次さん(77)

     原爆で両親と姉弟あわせて5人を失った大分市の萬田泰次さん(77)。昨年、原爆死没者遺族の大分県代表として、平和記念式典に初めて参加した。原爆によって狂わされた人生を想像できないほど、明るい人柄にひかれて、話を聞いた。 ……

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    大切な写真、家族思う  下江 正一さん(73)

     趣味の写真が高じて公民館の写真講座で講師を務める下江正一さん(73)=三原市明神3丁目。4歳の時に被爆し、避難先の山口県岩国市から、さらに三原市まで歩いて逃避行を重ねたという。人づてに下江さんのことを知り、体験を話してもらった。……

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    心に悔い、抱えながら  森 匡世さん(88)

     「死が当然で、生が不可思議だった世界」で同級生を捜し歩いたという広島市中区の森匡世(まさよ)さん(88)。 1月にこの欄で紹介した高知市の男性の姉と同級生だったと知り、会いに行った。「なぜあの時……」という悔いを抱えながら平和の尊さを訴えてきた。 ……

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    赤ん坊の死体、脳裏に  宮川 啓五さん(86)

     裸の赤ん坊、川に浮き沈みする多数の遺体、川岸に並べられた女学生たち――。広島市西区の日本画家、宮川啓五さん(86)は、被爆50年を境に、原爆投下直後に見た情景を描くようになった。どんな思いを込めているのか。被爆70年を前に聞いた。……

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    御幸橋の「遺言」原点  坪井 直さん(89)

     ピカッと銀白色の光が走った途端、顔を手で覆った。1945年8月6日。爆心地から約1・2キロ離れた富士見町(現・広島市中区)の路上で被爆した。爆風で約10メートル飛ばされた。  当時、広島工業専門学校(現・広島大工学部)3年の20歳。戦前教育を受けた「軍国少年」は当初、「アメリカの野郎、よくもやったな。今に見とれ」と威勢が良かった。だが、体を見て、気力は一気になえた。 ……

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    核と人類、共存できない  米沢 鉄志さん(79)

     京都府宇治市の米沢鉄志さん(79)は昨年7月、子ども時代の被爆体験をつづった本「ぼくは満員電車で原爆を浴びた 11歳の少年が生きぬいたヒロシマ」(小学館)を出した。これまで出版を勧められたことはあったが、断ってきた。「記憶違いがあったら、誤った歴史を残してしまう」。そんなためらいを捨てさせたのは、東日本大震災での福島第一原発事故だった。……

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    「水の絆」生き抜いた  井関 正子さん (81) 井上 ヨシノさん (106)

      69年前、広島市内は水を求めてさまよう人であふれかえった。多くの人が命を落とした中、「水のおかげで助かった」という被爆者もいる。広島市佐伯区の主婦、井関正子さん(81)は、その1人だ。取材で自宅を訪れると、母親の井上ヨシノさん(106)も入市被爆したと明かしてくれた。当時、何があったのか。母娘に聞いた。 ……

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    路面電車に遺体の山  片山 保博さん (87)

      1945(昭和20)年3月から14回にわたる空襲で市街地を焼失した呉市と、それまで本格的な空襲がなく、たった1発の原子爆弾で街が消えた広島市。呉市豊町久比の農業片山保博さん(87)は広海軍工廠(こうしょう)で呉空襲に遭い、原爆が投下された翌日、大竹町(現・大竹市)の海兵団へ行くため広島市中心部に入った。空襲と被爆の生き証人だが、「話しても、実態は分かるもんじゃない」と、これまで体験を語ることはなかった。……

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    50年秘し続けた悔悟  原 美男さん(87)

       島根県の被爆者団体会長を務める原美男さん(87)=松江市在住=は約50年間、被爆者であることを秘してきた。1995年の戦後50年を機に体験を語り始め、今は被爆2世ら次世代が活動を継承できるよう力を注いでいる。「半世紀のブランクを取り戻す途中」という悔悟の歩みを聞いた。……