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紙面から from Asahi Shimbun

聞きたかったこと

 「聞きたかったこと」は、朝日新聞広島県内版で2008年4月に始まりました。記者が被爆者の人生をたどり、その思いを聞いています。被爆者としての人生を強いられた人の言葉は、「核時代」を生きる私たちの警句でもあります。東日本大震災を経ての思いにも迫ります。原則週1回の掲載で今も続いています。収録にあたって、年齢・肩書は掲載時のままとしました。

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    一生語り続ける決意  サーロー 節子さん(83)

     カナダ在住のサーロー節子さん(83)は、ウィーンで先月開かれた国際会議をはじめ、世界に向けて英語で被爆体験を証言してきた。心ない非難を浴びたこともあったが、70年前の体験を伝え続けようという思いは揺るがない。原点を聞いた。
     サーローさんは1932年、広島市荒神町(現・南区)に生まれた。7人きょうだいの末っ子。兄や姉とは年が離れ、父母と3人暮らしだった。44年に広島女学院高等女学部に入学したが、当時は配給が限られ、米粒を数えられるほど薄いかゆなど、惨めな食生活が記憶にある。 ……

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    核兵器廃絶 唯一の解  葉佐井 博巳さん(83)

     原爆の放射線研究の第一線を走ってきた広島大名誉教授の葉佐井博巳(はさいひろみ)さん(83)=広島市佐伯区=は10年前、広島国際学院大の学長をやめると、被爆体験を語り、核廃絶を訴え始めた。被爆者の記録の保存や継承に力を入れている。葉佐井さんを突き動かすものは何か。思いを聞いた。
     「学校で教わった『お国のために命を捨てなさい』という言葉を信じ、「まさに軍国少年だった」。葉佐井さんはかつての自身を振り返る。 ……

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    ドーム描き続け3353枚 鎮魂の思い 筆に込め  原 広司さん(83)

     原爆ドームの絵を描き続けている広島市安芸区の原広司さん(83)。その数はいま、3353枚。「ドームは黙って立っとるんじゃない。核兵器廃絶を願って立っているんです」。水彩画を手に、脳裏に焼き付いた光景を証言し、聞く人に平和への思いを託す。
     1945年春、原さんは千田町(現・広島市中区)の県立広島工業学校(現・県立広島工業高校)の建築科に進学した。「一生懸命、先生から色んなことを教えてもらおう」。意気込んで入学したが、机に座ったのは2カ月だけ。それからは建物を壊す家屋疎開に追われた。 ……

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    語り部続け育む交流  桑原千代子さん(83)

     8月6日の原爆の日に広島FMの番組「9ジラジ」に出演した語り部の桑原千代子さん(83)=広島市南区=は、子どもたちに平和の大切さを伝え続けてきた。壮絶な体験をしたはずなのに、語り口は柔らかく、心にしみ入る。会いに行き、思いを聞いた。
    桑原さんは3人きょうだいの末っ子で、宇品御幸(現・南区)で家族5人で暮らしていた。1945年は第三国民学校(現・翠町中学)高等科2年生。当時は陸軍船舶司令部(暁部隊)が校舎を使っていた。生徒は動員され、桑原さんは工場で戦地に送るたばこ「ほまれ」を袋に詰める作業をした。 ……

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    家族の体験、書く使命  玉里 紘子さん (71)

     広島市安佐南区の歌人、玉里紘子さん(71)は1歳で被爆し、名付け親の祖父や伯母を失った。8月6日に一家が体験したことを一冊の本にまとめ、被爆70年の節目となる今夏、自費出版した。本に込めた思いを聞いた。
    戦時中のスローガン「八紘一宇(はっこういちう)」から「紘子」。玉里さんの名は母方の祖父、島本政吉さんが付けたという。玉里さんの一家は戦時中、朝鮮半島で暮らしていたが、父が出征して不在になった。心配した政吉さんが1944年秋、娘や孫を祇園町(現・安佐南区)の自宅に呼び寄せた。 ……

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    胎内被爆、今こそ語る  渡辺 静枝さん (70)

     被爆時に妊娠していた女性から生まれた胎内被爆者の体験集が、被爆70年の今夏、発行された。編集した渡辺静枝さん(70)=呉市本町=も胎内被爆者で、原爆投下の1カ月後に生まれた。これまで被爆者の運動に関わったことはなかったが、編集にあたった胸の内を聞いた。
    原爆投下時、母の玉井ミツ江さんは現在の広島市西区の広島電鉄横川電停にいた。疎開先の可部町(現・安佐北区)から静枝さんの姉2人を連れ、市中心部の父の実家に向かう途中だったという ……