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紙面から from Asahi Shimbun

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聞きたかったこと
故郷までも奪った戦争 広島県府中町 山崎寛治さん (80)
(2008年5月28日 朝刊)

写真 天神町北組の碑を守る山崎寛治さん。原爆犠牲者名の中には、いとこの米川賢太郎君や母の名前がある=広島市中区

写真 山崎さんが肌身離さず持ち歩くいとこの米川賢太郎君の写真。被爆して1カ月もたたないうちに亡くなった

 平和記念資料館(広島市中区)から北へ約50メートルの平和記念公園内に「北天神町原爆犠牲者芳名」はある。約270人の名が刻まれたこの碑を、山崎寛治さん(80)=府中町=は毎日のように訪れ、公園の脇を流れる元安川の水をくんで供える。

 山崎さんが少年時代を過ごした自宅は、資料館の北側の入り口付近にあった。父を早くに亡くし、天神町(現・広島市中区中島町)の2階建ての借家に母と2人で暮らしていた。近所には4軒もの病院や大きな旅館、針工場などがひしめき合い、往来はいつもにぎやかだった。夏には、元安川で泳ぎ、遊ぶ子どもたちの笑い声が響いていた。

 「平和公園はきれいだけど、私にとって懐かしさはない。戦争とは故郷までもなくしてしまうんだよ」。あの日から63年になろうとしている今、公園を訪れた小中学生たちにそう語りかけている。

     □

 1945年8月6日。その春に東京の大学に入学した山崎さんは、自宅待機を命ぜられて帰郷していた。当時、母校の県立広島第二中学校(西区観音本町2丁目)に教練の指導に通っていた。自宅には名古屋から疎開中の叔母といとこ5人が数日前に移ってきたばかりだった。

 いとこの米川賢太郎君(当時13)は山崎さんを「兄ちゃん」と呼んで慕っていた。元安川で、うなぎ取りをしたり石投げをしたりして遊んだ。「弟ができたようで。一番幸せな時期だった」。その朝も一緒に家を出て「帰ったら川で遊ぼう」と考えながら橋のたもとで別れた。

 中学校に着いて、1階で事務の女性に声をかけて鍵を受け取ったところまでは覚えている。次の記憶は、夕方、燃え落ちた校舎の外で倒れているところだ。校舎内で被爆したはずだから、ずっと気を失っていたのではない。記憶をなくしている。理由は今も分からない。爆心地から約1・5キロの地点だった。

 腫れたまぶたを指でこじ開けると、人の形をした黒い物体がたくさんあった。その一つが男の声で「アメリカがやったんだ。敵を取ってくれ」と言い崩れ落ちた。「これは人間じゃないか。何かが起こったんだ」と悟った。目や舌が飛び出し、顔の形すらない人たちの一群だった。

 右太ももを激痛が走った。ガラス片が食い込んでいた。その場で夜を明かした。

      □

 翌日、這(は)い、棒を突いて自宅に向かった。照りつける日差しと、散らばる焼けた瓦の熱で暑い。元安川で、死んだ人や「助けてくれ」と叫ぶ人をよけて水を飲み、石の下にいたカニをそのまま食べた。

 街の跡は人気がなく、静かだった。両腕を前にし、裸で皮膚をたらした人が時折歩いていた。「皆が帰ってくるかもしれない」と、自宅付近で無数の死体と並んで寝た。

 8日、瓦を踏む音が近づいてきた。「兄ちゃーん!」。「賢太郎!」。抱きとめると「もうどこへも行っちゃいかん、名古屋に一緒に帰ろう」としがみついてきた。県立広島第一中学校(現在の広島国泰寺高校)に向かっていて被爆したらしいが、目立ったけがはないようだった。「人生で一番うれしかった」。今もその思いは変わらない。

 その日、名古屋から捜しにきた賢太郎君の父が、賢太郎君を連れて帰った。山崎さんは「お母さんを捜します」と残った。

 終戦を迎えたころ、親類から聞いた。「賢太郎君の髪の毛が抜け、体に斑点が出て入院したらしい」。山崎さんも下痢やだるさが続いていた。「賢太郎君にもう一度会う」と心を奮い立たせていた。賢太郎君が8月末、「兄ちゃん」と言いながら亡くなったと知ったのは後のことだ。

 母の遺体は見つからず、親類19人が死亡。山崎さんは一人になった。

     □

 苦学して大学を卒業後、大手化学メーカーに入社。転勤族として山口や大阪、高松などを移り住んだ。結婚し、一人娘も授かった。故郷に戻ったのは定年後の83年冬。

 春になったある日、碑の前に小学校高学年くらいの児童数人がいた。修学旅行で来たらしい。「ここには昔、大きな街があったんだよ」と話しかけると、子どもたちは「えーっ!」。自宅があったこと、元安川で泳いだこと……。子どもたちは山崎さんの目を見て聞いていた。

 この日をきっかけに、平和記念公園などで被爆証言をするようになった。「話すことで、亡くなった人を思い出すのが私の供養。それが平和に役立てば」。手帳にはこれまでに証言した人数が記してある。すでに7万人を超えた。今月も、24団体に話す予定が書き込まれている。

(秋山千佳)