english

ここから本文エリア

紙面から from Asahi Shimbun

この記事の英語ページへ

聞きたかったこと
「原爆落とした国」で50年 米国在住 カズ・スエイシさん (81)
(2008年9月10日 朝刊)

写真 「2度と同じことが起こらないよう自分の体験を伝えることは、米国民である自分の使命でもあると思う」と語るカズ・スエイシさん=米カリフォルニア州トランス市

 広島原爆の日を前にした8月3日、米ロサンゼルス市・リトル東京地区の高野山米国別院で、恒例の原爆犠牲者の追悼法要が開かれた。参列したのは米国在住の被爆者と家族ら約80人。その中に「カズママ」と呼ばれるカズ・スエイシさん(81、日本名・据石和)の姿があった。「原爆を落とした国」で暮らし始めて半世紀。米国の子らに体験を語って約30年になる。

    □

 広島出身の父親は戦前、カリフォルニア州で商売を手がけ、自身はロス近郊のパサデナで生まれた。だが、物心がつかないうちに両親に伴われて帰国した。住まいは南観音町(現・広島市西区)。近所には一家と同様に米国から帰った家族が2世帯あり、「軍都廣島」にありながら、独特のリベラルな空気を吸って成長した。

 1945年夏、18歳だった。旧制女学校を卒業し、軍需工場で働いていた。自分だけの「秘め事」があった。広島に頻繁に飛来するようになったB29爆撃機を心の中で「天使」と名付けていた。爆弾を落とすこともなく、飛行機雲をなびかせて悠々と去っていくB29は「青空に舞う天使」のように見えた。米軍が原爆投下を視野に広島への通常空襲を禁止していたと知るのは、被爆後随分たってからだった。

    □

 その日は銀色に鈍く光る「天使」から白い斑点のようなものが落ちるのが見えた。「あら」と指さした瞬間、閃光(せんこう)を浴び、がれきの下敷きになった。音の記憶はない。

 爆心地から約2キロ。足に木片が突き刺さったが、やけどは免れた。がれきからはい出ると青空はねずみ色に変わり、セミの声は消えていた。父親はまともに熱線を浴び「やられた」と叫んでいた。

 「ゴースト・マーチ」(幽霊の行進)。カズさんが当時を振り返るときによく使う言葉だ。衣服が裂かれ、皮膚を焼かれ、髪の毛が逆立ち、炎から逃れるために市外に逃げる人波はみんな無言だった。

 奇妙な光景を見た。倒壊家屋に火が回るなかで、近所で仲良しだったアサちゃんが「うちに変な人がいる」と助けを求めてきた。傾いた家の中でタンスの中をあさっていた見知らぬ中年男は、声をかけるまもなく走り去った。「火事場泥棒」だった。音も、痛みの感覚さえも失われた世界で、冷静に盗みを働く人がいるのが不思議だった。

 被爆の本当の苦しみは数日後に始まった。大やけどを負った弟の治療のために奔走するうちに、歯茎から血が流れて止まらなくなり、わきの下や大腿(だいたい)部が腫れ上がり、高熱が引かなくなった。血便、血尿も続いた。医師は「この娘さんは助からんですよ」と首を振った。

 近所で体に傷のない人が次々と命を閉じていった。「私が死ぬのは今日か明日」とおびえる日が続いた。生きる希望を持ったのは10月、掘っ立て小屋のような自宅に裸電球が一つともったときだ。正月、銘仙の着物を着て立ち上がれるまでになった。

    □

 米国西海岸に再び向かったのは、被爆12年後。ロス在住の日系2世、マサユキさんと結婚するためだった。

 マサユキさんとは、戦後まもなく服飾を学ぶためハワイの洋裁学校に入学した際、知り合った。マサユキさんがカズさんに一目惚れした。だが、結婚まで曲折があった。

 「どうせ知れること。隠すことはない」。父はそう言って、断るつもりで仲人に「うちの娘は原爆に遭って働くこともできなければ、子どもを生むこともできない」と告げた。カズさんは戦後、何度も全身に斑点やあざがあらわれ、体がだるくなる後遺症に悩んでいた。それを隠して結婚しても異国で苦しむだけだと父は考えていた。だが、マサユキさんは「私は過去にはこだわらない。一生お守りします」。その一言で海を隔てた結婚は決まった。のちにマサユキさんは戦時中「敵性外国人」として米ワイオミング州の荒野の中の強制収容所に入れられていたと知った。

 「原爆を落とした国」に対する特別な感情はなかった。むしろ、医療保険への加入を拒まれたのが衝撃だった。大手保険会社から「あなたの放射線被害は医療保険ではカバーできない」と告げられた。

 日本のような国民皆保険制度をとらない米国で民間の保険から排除されることは、多額の医療費負担を強いられることを意味する。公的医療保険に入れるようになった65歳まで、体調が悪くなると広島に里帰りし、病院に通った。

    □

 米国西海岸の被爆者団体の役員を務めるようになった70年代から、中学校や高校で被爆証言をするようになった。

 米国政府は原爆投下は多くの兵士の命を救ったという公式見解をとり続けている。カズさんは「憎しみから平和は生まれない」という信念から、恨みは前面に出さない。それよりも、愛がなければ平和は訪れないと、孫に言い聞かせるように説いてきた。

 「どうしてカズママは米国に嫌悪を抱かないの」。よく問われる。いま孫が2人いるカズさんは答える。「うちの親は人を憎めという育て方はしなかったわ。それに、いつまでも憎い、憎いでは誰も私の話を聞いてくれず、私は孤独なばあさんになってしまうでしょ」

 (武田肇)