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日本一を誇る醸造木樽(大分醤油) |
戦後、ミゼットハウスで始まった量産住宅が、昭和40年代に「ハウス」から「ホーム」へと用語を意識的に変えた時期がありました。いわく、ハウスは「ハード」でホームは「ソフト」だからでしたが、果たしてそれは名ばかりで、実際の住まいづくりでは根本がソフト志向に変わったことはありません。むしろ設備や断熱などによって室内環境をインテリアのハードで覆っただけのことで、結局は生産効率や販売効率を優先した生産者側の「ソフト」にほかならないのです。これを称してファストフードならぬファストハウスで、結局は「ハウス」の域を出てはいないのです。
これに対して、柱梁(はしらはり)の材料の吟味から部材を選び、仕口(接合部)の一つひとつを削り出して、すべて手づくりでつくる! 何あろう昔からの伝統的な家づくりですが、これを「在来工法」などと工法名まで付けられているのです。この“在来”の家づくりこそ、スローフードならぬスローハウスと呼ぶべきなのです。
なるほど作るのに効率が悪い! その品質にも多少のバラツキがある! 従って売るのにも手間が掛かり、もうけも少ない! 少しでも効率を考えると、即ファストハウスになってしまいます!
そんな時期の四十数年前、先輩の紹介がご縁で初めて家づくりのお手伝いさせていただいたのが、大分県は臼杵市の醸造家の家でした。これがご縁で、私は世間が近代化の真っただ中にある中で、近代化とは縁遠い手づくりの本物志向の家づくりを学ばさせていただいたのです。
そう、あのうまみのあるおいしい醤油を作るのにあえて木のたるを使う、そして時間を掛けてじっくり醸造する――効率は悪いが、“うまみ”と言う利益を最優先するのです。味噌も同じで、この部分だけは徹底して“非効率的な生産”を行う! 品質にかかわらないところはあくまでも合理化を図る。反対に品質に左右されるところは徹底して手づくりで、それも吟味された無垢の素材を使う!
家の設計がご縁で、本物の醤油や味噌の工場の設計を任され、その製品の生まれるまでを一から勉強させていただきました。“うまみ”のある味噌づくりのスローフードの神髄を学んだのです。それがご縁で、この大分のフンドーキン醤油味噌の一貫工場を手始めに大分醤油工場や岡崎マルサン味噌工場、さらには仙台味噌工場など各地の主力味噌工場などを多く設計させていただいたのです。
私はこの醸造という生きものの考え方を住まいづくりに試み、この思想は今、病院や老人施設などの建物づくりにも生かさせていただいています。それこそまさしく、“スローハウス”なのです。これはリフォームも同じ“スローリフォーム”となります。この家づくりはファストフードのように、せっかちにつくってはいけないのです。
私は決して、工業化を否定しているわけではないのです。問題は工業化=合理化=高利益、そしてローコストのためのローコスト化となり、あくまでももうけが優先され、本物の素材感、さらに住む人の個性やその持ち味を忘れてしまうことを憂えるのです。
実際、合理化の中ではデータとして把握しにくい“感傷的な”要素が見落とされやすいのです。この工業化は自動車や家電に始まり、「衣」のファッション、「食」のフード、さらに「住」へとすべての商品がファストフード化されてきたのです。
工業化に適した自動車や家電などは、その安全に使えるという機能から、あれほどの部品の多さにもかかわらず早くローコストにできるのですから驚きです。しかし、ちょっと手づくりにでもしようものなら、同じ自動車1台がすぐに何千万円、1億円にもなるのです。そんな中で今あえて“ものづくり”が浮上しているのは、こうした製品よりも、“つくる過程”を大切にしようと言うことで、その過程で色々な発見やアイデアが生まれ、個性も生まれることが期待できるからです。
しかし肝心の住まいのコストはと言うと、その量産にもかかわらず、在来の手づくりの家に比べ、さほど安くなっていないのです。むしろ高いものまであるのです。いったいなぜでしょう?
それは、部材がかさばる割にその種類が多く在庫も多く、広大な工場や倉庫を必要とし、その部材も年々新しいものへと更新され無駄となるからです。雨や雪が降る基礎工事や外溝工事など現場のコストもあまり下がらないのです。おまけに膨大な企画費や宣伝費もかさみ、しかもメンテナンスの引当金もばかになりません。
なんと“肝心な大切なもの”を捨ててまで合理化に合理化を重ね、部品化し、規格化して量産化しても、結局、個性的な家の価値観を得ようとすると、さらにその費用がかさむのです。それなら最初から大工や左官などの各手職技術者を育成し、工法やリフォームのシステムを考え、合理化し、手づくりのスローハウスの家づくりを推進した方が新しい価値観のための合理化となるかも知れません。
そのスローフードを提唱し、自らスローハウスに住み、スローライフを実践された、私の初めての建主であり、40年間の師匠でもある醸造家の小手川道郎氏は一昨年夏、いろいろな実績と示唆を残されて他界されました。