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京都・竜安寺の石庭と次第に低くなって行く塀 |
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「狭楽し術」のダイアゴナル配置の平面図例 |
京都・竜安寺の石庭の“遠近法”による「空間拡大」の錯視(さくし)は見事なもので、本当の広さを聞くと改めて驚かされます。その平面計画と視覚心理は、まさにトリックです。タネ明かしは後ほどするとして、あの大小の石の配置の持つ意味合いと躍動感は、とても平面図だけではできるものではありません。
そこには春夏秋冬の季節があり、その時刻、さらには見る位置、あるいは見る人の気分など、あらゆる事象の人になりきって何度も置き換えて直してこそ、初めて万人にその精神性とドラマを感じさせることができるわけで、制作者の意欲と意思が伝わってきます。まさに竜安寺の石たちは今も生きているのです。
家の設計もまさしくそうありたいもので、そこに住む家族、季節の移ろい、さらにそのときどきの行動、その日の気分によってさまざまなケースをシミュレーションしてプランをつくるのが最良です。しかし、これはそうそう簡単なことではありません。
やってみればすぐに分かることですが、まず敷地が広くない! マンションなどの集合住宅で言えば、2LDKのスペースでは広くない! 隣地や道路からの視線が気になる! そして法律の規制も思うように任せてはくれない! 致命的なことは予算が足りない!――で、すべてが狭いのです。
狭い中で自分たちの要望をいかに組み込み、広く住むようにするか? 禅の深い思考同様、家の設計は家族と暮らし、人生をトータルで見つめることです。そこで私はこうしたプランニングの手法として、「狭楽し手法」をとっているのです。
どの住まいも狭いことには変わりはない。狭い住まいを逃れ、広い家に住めば「家庭経済が狭く」なり、これは大変とはるか遠くに引っ越せば通勤時間が長くなり、家族の「付き合いが狭く」なるのです。つまり、この“三つどもえ”の狭さから私たちは永遠に逃れることができないのです。
要は、その狭さが狭“苦しい”のか、あるいは狭くとも“楽”なのか、さらには“楽しい”かなのです! そう、狭くても楽しい!――こうして「狭楽しさ」の理論(?)が生まれました。そのきっかけになったのが、わが2LDKがあまりにも狭苦しかったことと、京都・竜安寺の石庭だったのです。
石庭がなぜ広く見えるかですが、ここで遠近法のタネ明かしをしますと、見学ルートを入って初めて庭が見える位置から正面の長辺の塀、そして突き当たりの短辺の塀の高さが遠ざかるほどに徐々に低くなっているのです。だから、その互いの辺の距離は遠くに見え、石庭そのものが広く感じられるのです。
さらに巧妙なことに、この庭に到達するのに門(通常は閉められている)から入り壁で目隠しされて初めて左に見えてくる庭と、客人の位置関係が、「ダイアゴナル」すなわち対角の位置にあるのです。庫裏(くり)から庭の見える方丈の縁側に到達するところも同じく対角の位置で、なんと立体的遠近手法とダイアゴナル配置手法を用いているのです。
私の提案するダイアゴナル配置計画(イラスト参照)は、また別の機会にお話ししましょう。
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お知らせです。6月6日からの1週間、私のパソコンの調子が悪く、この間のメールを受け取ることができませんでした。ご意見やご質問をいただいたのではと思われる方から、お叱りのメールをいただいております。この間にメールを送られた方は、ご面倒ですが再度お送りいただければと思います。
(天野彰さんへのメールはこちらから)