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この寒い冬に「住まいは夏をむねとすべし」と言いたい |
昨年暮れから今年にかけて、住まいづくりと言うもの、そして家を持つことの意味、さらには持ち家そのもののあり方などを思い知らされ、いや、むしろ観念させられました。そんな事件多発の年回りとなったような気がするのです。時代の波がそうさせるのか、住まいはもはや一つの工業商品か目まぐるしく変わる経済の一環の相場となっているようです。
なるほど、住まいやビルは不動産から、すでに耐久消費財で消費税が付くものとなっていたのです。それにつれ、住まいは投機の目的ともなり、株のように利回りを求めるものとなって、持ち家志向になっているようです。悲しむべきは、そうとも知らず必死でマイホームを求めた若い家族たちが原価の倍ほどの割高な住まいに住まわされ、さらには高利益追求のための手抜きや偽装工事建物の犠牲者になっていることです。
私はこの事態に、私自身の40余年にわたる住まいづくりの反省と同時に、戦後60年の近代化が住まいの思想や住まいの文化づくりの点で大きく間違っていたのでは、とも思うのです。
これまで私は住まいに大切な構造や設備、外観のデザインや安全な仕上げ材、さらに、それら以上に大切なテーマを主張してきました。その一つが「家族を構成する間取り」で、もう一つがいかに「居心地の良い空間(いや、居場所)」をつくるかでした。今そのことを改めて考え、確信することになったのです。
考えてみれば実に当たり前のことなのですが、この簡単なことが意外に難しいのです。住まいは理屈や芸術性はともかく、安い!広い!そして設備がいい!ことが優先されがちです。冷暖房がよく効いて、そして省エネで、すてきなデザインで、機能的なキッチンにどうしても目や意識が行ってしまいます。そう、それが分かりやすいからです。その視点だけで家を提供すれば、売れるに決まっているのです!
そして、あっと言う間にできてしまう家に引っ越し、住んでみると……。どなたも“何かが欠けている”ことに気がつくのです。それはいったい何か? そしてあの発言です。「ただなぜか愛着が持てないのです。なんだかビニールハウスの中に住んでいるみたいで!」
それが今度は鉄筋が抜かれ、柱梁の断面が小さく、コンクリートが弱く強度が保てないとなると、もうこれは居心地どころではありません。こんなところに「老後の生活を考えましょう!」などと言っても、若い建主にはしょせん遠い未来の絵空事なんですね。夏はともかく冬は断熱が行き届いて暖かい家がいい。誰だってそう思うはずなのですが、私はどうしてもそれ以上に風の通りを優先して大きな窓にし、部屋のあちこちを窓だらけにしてしまいます。開かない“嵌(は)め殺し”の窓や、申し訳程度の小さな窓など考えただけでも息苦しくなるからです。
お陰でいくら暖房しても効かないとか、せっかくの大きな窓も開けることはほとんどないなどと言われることもあります。が、しばらくするとこんなグチも聞こえなくなり、皆さん快適(?)に住んでいただいているようなのです。
今年は年末から特に寒い日が続いていますが、年始のごあいさつで
「(前略)4〜5年を過ごして、1年という長いサイクルで考えますと、寒いどうしょうもない日は10日間あるかないかで、それも分厚いカーテンや内側の戸ぶすまを閉めればほぼ快適で、それよりも開放して過ごす日の方がはるかに多いのです。家内も私もクーラーが苦手で、今では夏に閉め切って冷房をかける日はほとんどありません。要するにあれから歳をとったと言うことです。天野さんはそのことを言いたかったのですね!」
と、この冷える真冬に、住んで5年目の寒がりと暑がりの建主のうれしい総決算を聞いたのです。家を持つことと、その意味を考え、建主と一つ一つ議論し、シミレーションし、納得して、本音の深いところで家をつくる。時代がいかに変わろうとも、それだけをスタッフともども励行して行きたいと考えるのです。