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「天野彰のいい家いい家族」

セルフサポート 自助自立の住まい(3)

2007年08月26日

 私がなぜそこに住む人の家族や生活、あるいはその人の人生にこだわるのか、改めて考えてみました。住宅建築家として、多くの家づくりから実際に学ぶことが多いのですが、私の家づくりの思想の根底は、何よりも私の育った家と、養父母である祖父母の影響が大きいと思います。

イラスト

浴槽に入らず洗い場にスノコを敷いて身体を洗い暖める

写真

おなじみベッドのとなりの手つきトイレ

 まずはその家ですが、まさに明治の建築で、黒光りする尺角(約33センチ角)の大黒柱のある店(みせ:玄関土間に面した8畳の座敷)には、長押(なげし:鴨居の上の横材)に先祖伝来の長刀(なぎなた)と槍が飾られ、次の間、北の間と続き、奥の座敷には大きな仏壇が供えられていました。小さいころから、大きな扉の仏壇の中にあるものはいったい何だろうと、いつも好奇心を抱いていました。

 古い家の春夏秋冬の使い方や、季節ごとの行事。さらにたまたま次々に行われた増改築など、幼児期から、家の構造や増改築の段取りなどを直接目の当たりにしてきました。とくに祖父母は、掃除や手入れにはうるさく、ちょっと汚しただけでもずいぶん叱られ、掃除の手伝いも結構させられました。反対に縁側では何をしてもよく、縁側の隅には鶏をはじめ、あらゆる鳥やインコを飼い、揚げ句の果てはハツカネズミはもとより、何十羽ものウサギまで飼ってしまったのです。さらにそこに机を置いて勉強をしたり、工作をしたり、昼寝もしました。

 やがて姉がバレエ教師になると、その縁側と8畳の店の床を取り、土間玄関をつぶして広いレッスン室に改造され、わが家にはじめてサッシが取り付けられました。工事の際には、床下や屋根裏の構造を興味深くのぞいた記憶が鮮明にあります。玄関の土間に大きな洞穴があり、そこにモミガラが入れられ、ジャガイモやサツマイモなどが保管されていたのが、妙に神秘的で、幼心に大人の知恵の凄さに感心したような気がします。レッスン室の東側に新しく台所と浴室、そして広めの脱衣室兼茶の間のような部屋を増築しました。母屋に増築された白木の柱梁の姿に感動し、家の成り立ちに大変興味を持ったものです。

 その後、大学受験に備えてか、茶の間を4畳半ほどの洋室に仕切り、初めて個室を与えられる栄誉に浴しました。すでに建築を志していたせいか、あるいはその部屋づくりのせいだったかは、はっきり覚えていませんが、小さな部屋の収納の位置や形、さらには材料の選定やドアのデザインなど、大工さんと相談しながら精力的に行いました。学校から帰ってくるのが楽しみで、ドアが入る日などはわくわくして、部活を切り上げて帰ったほど興奮しました。

 月日が流れ、祖父が亡くなり、私は大学を卒業。小さな設計事務所を開き、やがて老いた祖母のために、東の増築部分を壊し、病室のような生活スペースに建て替えました。母屋がだいぶ傷んできたことと、高齢の祖母にとってトイレや浴室の設備が不自由で生活しにくくなったためでした。水屋のようなキッチンを中心に、祖母の寝間兼茶の間があり、そこにかの大きな仏壇を母屋の座敷から移しました。

 キッチンとの間には20センチほどの段差がありました。祖母はベッドのような茶の間から起き上がり、トイレ兼脱衣・浴室まで伝って行きました。やがて立てなくなると、ベッドからすべるように板の間の床に降り、這って脱衣室まで行きます。そこに大き目のバスタオルやタオルケットを敷き、ごろごろと身体をくねらせて服を脱いだり着たりし、さらにそこから這ってスノコを敷いた洗い場に入り、シャワーで洗っていました。

 このコラムでも著書でも、何度もご紹介したイラストは、その祖母の想像図です。祖母は娘である私の母にも絶対に手伝うことを許さず、最期まで自分でトイレに行き、浴室でこうしてごろごろと身体を洗って「入浴」していました。元気な祖母でしたが、病院でベッドからおまるに乗り移り損ねて転び、腰に大けがを負いました。それが原因でずいぶん弱くなって、亡くなりました。

 車椅子で動くことができるとしても、トイレには向き合う形になり、一人では絶対に乗り移ることができません。そこで、車椅子やベッドから手つきトイレの棚を伝って乗り移ったり、前回も紹介した天井からの「自在トランスファー」でわが身を支えながら、便座や車椅子に乗り移ったり。浴槽にも一人で「操縦」しながら入浴するのです。これならプライド高くかつ遠慮深い老人でも、プライバシーもあり、自宅でも家族や人に負担をかけずに生活できます。

 これこそが、私がこだわる自助自立できる家づくりの思想です。こう考えていけば、いろいろな新たな住まいの形や空間が生まれます。これからは単にムード的な家づくりではなく、「生きていける」ホンネの家づくりが必要です。

 今後、団塊の世代が高齢となる超・超高齢化社会では、間違いなく要介護者が急激に増え、老人病院や老人施設がさらに必要になるでしょう。にもかかわらず、今のあやふやな医療保険や年金制度のまま在宅を勧め、療養型病院をとことん排除する行政姿勢が続けば、要介護老人が病院や巷(ちまた)に溢れる「老人難民」の時代がいずれ来ると予測されます。残念なことは、今回の参院選においても、そんな危機管理のマニュフェストを掲げた政党や政治家など一人もいませんでした。

 皆さんの家づくりのお手伝いをしていますと、どなたも先行き不安のもやもやとあきらめの中にいることが分かります。それが今の最大の政治不安です。これは内側をちょっと整理すれば分かることです。まさに片付かない家の中と同じです。そうです。問題をすっきりするのは整理して収納することが大切です。しかし収納は年金のように、ただ「収めて納める」だけではダメです。出すこと、そう「収めて出す」ことが大切です。次回は出すことを想定した、収納ならぬ「収出」についてお話ししたいと思います。

プロフィール

顔写真 天野彰(あまの・あきら)

 岡崎市生まれ。日本大学理工学部卒。一級建築士事務所アトリエ4A代表。

 「日本住改善委員会」(相談窓口・東京都渋谷区松涛1-5-1/TEL03-3469-1338)を組織し「住まいと建築の健康と安全を考える会 (住・建・康の会)」など主宰。住宅や医院・老人施設などの設計監理を全国に精力的に行っている。その実業務からTV・新聞・雑誌などで広く発言。元通産省「産業構造審議会」や厚生労働省「大規模災害救助研究会」などの専門委員も歴任する。

 著書には、新刊『六十歳から家を建てる』(新潮選書)、『地震から生き延びることは愛』(文藝春秋)、『新しい二世帯「同居」住宅のつくり方』(講談社+α新書)、新装版『リフォームは、まず300万円以下で』(講談社 実用BOOK)など多数がある。

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