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「天野彰のいい家いい家族」

「減築」は生き方、考え方の転換です

2007年10月07日

 子育て、そして勤めが終わったのちの生活は、おおげさに言えば今までとはまったく違ったものとなります。そこでどう生きるか、あるいは長い人生をどう生きて行くかを考え、改めて自身の生活を考えることにつながります。増築を重ねて来た今までの子育て優先の家を逆に「減築」し、夫婦の家にすっきり引き戻す。しかし、減築はそんな余生のためにではなく、もともと地価の高い都市に住むための生き方、住まい方の発想の転換でした。

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ローマの終着駅前を歩く私(筆者)。細い! 1964年夏

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万博パビリオンのコンクールの入選案 1966年

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300年経った今も住み続けられる白川郷の合掌造り

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構造と設備と住宅分離の現代版合掌造り

 私は20歳の学生だったとき、戦災の復興も大詰め、折りしも東京オリンピックが開催されんとしていたとき、西欧の近代建築の“本物”を見たくなり、日本を飛び出しました。

 行ってみて驚いたのは、街がきれいなこと。日本ではまだ歩道と車道さえはっきり分かれていないとき、すでに自転車道があり、戦禍から復興した“古風な”町並みもありました。公園や街角で穏やかにたたずむ老人、街ではしゃぐカラフルな衣装の若者や子どもたちでさえ大人っぽく見え、深く重い伝統を感じました。

 振り返って思えば、果敢でかつ早熟だった私は、当時の教育や都市計画、さらにはオリンピックなどの建築に大きな疑問を持っていたような気がします。すでに実際に家も建てていて、教授や先輩たちにはとても生意気で扱いにくい学生だったようです。

 今になってお話しするのも恥じ入るばかりですが、若かっただけに敏感な皮膚と素直な感受性で、見て触れて感じた西欧でなによりも感動的だったのは、向こうに身を置いてみたときの「わが祖国」でした。そのギャップがあまりに衝撃的でしたが、むしろ以前より素直に日本を、住まいを中心に建築から学んで行こうと決意しました。それが私の建築家、いや人間としての根底にもなりました。

 わが国はその後、復興以上の経済成長を遂げ、1970年には大阪万博が開催されることになります。幸運にも万博パビリオンのコンクールに入賞し、私もそのプロジェクトの一端に参加することができました。しかも、生活産業館という中小企業の共同出展館のプロデュースと主要ブースのディスプレーデザインと劇場を任されました。

 中小企業といってもYKK吉田工業や内田洋行、さらには大建工業や田中貴金属工業といった企業で、そのトップや建築家の生田勉氏や浜口隆一氏、行政からは通産省の池口小太郎氏(のちの作家・堺屋太一氏)などと朝まで話し合い、日本の生活産業について大いに学ぶことができました。

 “生活”からものごとを発想すると、今まで見えなかったいろいろなことが見えてくるようになりました。その後、都市計画を始め、工場や病院などの大型建築にも多く携わらせていただきましたが、その底辺には生活があり、根底には人がいるのです。その底辺さえしっかりできていれば、上屋は違和感なく生活に融合し、自然に街に溶け込み、社会が形成されます。

 私は、万博という華やかな場所で、穏やかな生活の館を担当して大いに満たされ、西欧で受けた衝撃とギャップが癒されました。派手なパビリオンが林立する中、この地味な館はかえって人気を得て大いににぎわいました。

 そのころの私は、西欧の乾いた大陸の中で、狭い城壁に囲まれて家や家族を守り、国を守る、彼らのゆるぎない生活思想の根底を思い出し、何百年も高層住宅や壁の家に住んできた彼らの上辺だけを見て真似る住まいや建築ではなく、土地に張り付き、四季の自然に順応し、まわりを思いやりながら棲む、日本の家の底辺と根底を改めて掘り出し、それをいかに現代の狭い都市の生活に生かしていくかを考えていました。

 そうして生まれた言葉が「狭楽しく住む」でした。当時はまだリフォームなどという言葉もなく「増改築」でした。私は増改築ではなく「住改善」と称し、やみくもに増築し、広げるだけではなく、むしろ増築を重ねて、閉塞した家の一部を取り去り、「減築」することで中庭などをつくり、風や光を通すことを提案しました。その結果、回りの部屋も生き返って広く住めるようになります。

 勤め上げた夫婦が二人だけの生活になったとき、増築し続けた住まいはただ広いだけで不自由で不経済で、しかも危険です。

 この「減築」は単なる住まいの改造のことではなく、生き方、考え方の思想です。合掌造りや清水寺の舞台をモデルに、構造と設備と住まいを分離することでメンテナンスをやりやすくし、何百年も持つ、入れ替え伸縮自在の集合住宅案「現代版合掌造り」などに結実しました。

 「ちょっと狭いかな?」、「もっとモダンにしたかった」、そんな家が2、30年経って「ちょうどよい広さとなった!」「さして古くもならない」とおっしゃっていただいています。新たな趣味の家に生まれ変わるものもあります。前回でもお話しましたように、趣味は本当に人をイキイキと若くさせてくれます。次回はさらに「狭楽しい減築手法」の実際をお話ししましょう。もうこれは“趣味”です。

プロフィール

顔写真 天野彰(あまの・あきら)

 岡崎市生まれ。日本大学理工学部卒。一級建築士事務所アトリエ4A代表。

 「日本住改善委員会」(相談窓口・東京都渋谷区松涛1-5-1/TEL03-3469-1338)を組織し「住まいと建築の健康と安全を考える会 (住・建・康の会)」など主宰。住宅や医院・老人施設などの設計監理を全国に精力的に行っている。その実業務からTV・新聞・雑誌などで広く発言。元通産省「産業構造審議会」や厚生労働省「大規模災害救助研究会」などの専門委員も歴任する。

 著書には、新刊『六十歳から家を建てる』(新潮選書)、『地震から生き延びることは愛』(文藝春秋)、『新しい二世帯「同居」住宅のつくり方』(講談社+α新書)、新装版『リフォームは、まず300万円以下で』(講談社 実用BOOK)など多数がある。

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