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建物ではなく居住の場所(3) 家族あっての家

2008年2月10日

 お腹に異状を感じた妻がある日、お産でお世話になった総合病院に連れて行ってと言う。普段、我慢強くめったに窮状を訴えることのない妻だけに、これは尋常なことではないと判断し、取るものも取りあえず連れて行った。

 ロビーで待たされること数時間。当時は携帯電話などのない頃で、ロビー片隅の公衆電話で仕事先のあちこちに連絡を取っていたところ、院内アナウンスで呼び出された。狭い診察室のシャーカステン(バックライトでレントゲン写真などの影像を見せる照明)に妻の腹部と思わしき影像が数点装てんされていた。「このいくつかのピンポン玉のような腫瘍が腸閉塞を引き起こしていると思われます……」という医師の言葉が、妻と私の人生の歩みを大きく変えました。

 「よくこれほどになるまで我慢されましたね。こりゃ苦しい。明朝にでも緊急手術をしましょう。ただ開けて見なければ分かりませんが、ほぼ悪性らしいと……」

 よく「目の前が真っ白に」とか、「頭の中が真っ白に」などと言いますが、この時ばかりは、本当に白くなるのを自ら体験しました。あらゆる苦難を乗り越えて来たと自負していたのが、なすすべもありません。説明する診断医の声もどこか“よそ”のものに聞こえ、自分がまるでドラマの主人公のような“他人”になっていました。

 明日からの仕事や打ち合わせのキャンセル、子どもたちの朝食や弁当の準備など、目が回るほど忙しくなるはずなのに、頭の中にまったく何も浮かびません。病院から呆然として運転して自宅に帰り、妻の入院支度をしようとしても、何をどこから探し、どう詰めるか、それさえも思うようにできませんでした。

 あれよあれよという間に手術、治療そしてまた手術と続き、妻は薬の激しい副作用に悩まされました。それでも彼女は当時11歳と10歳の年子を気づかい、家に帰りたいと何度も嘆願します。しかし、妻の意思とは裏腹に、病巣はどんどん広がり、胸そして頭部へと拡大し、ついには呼吸困難となっていきました。12月1日に診療即入院、次の日に緊急摘出手術、そして年を越し、節分を迎えた後の2月13日未明、窓辺の小雪が消え入るように静かに息を引き取りました。享年36歳でした。

 妻が夢見た念願の新築の家ですが、わずか7年でその家から命が消えたのです。家を建てるということは、そこに家族の存在があって初めて場が生まれます。そこでどのような生活を織りなすか? 憩い、そして歓び、時には激しく言い争い、そしてともに悲しむ。そんな日常の当たり前のことが、妻の入院一つで、すべてが変わり、家はまるで火が消えたようになりました。それも帰ってくる望みがあるときと、喪ってしまった後では、また意味は違ってきます。

 以来、私の家づくりは根源から変わりました。家族があって家がある。家があってそこに家族を押し込む、あるいはお仕着せの家に家族が影響を受けて行く……、私にはそんな高慢な家など、大切な家族に申し訳なくてとても設計できません。

 これは病院でも工場でも事務所建築の設計でも同じです。そこに働く人々、組織の各ユニットごと、あるいは患者、スタッフさらには生み出される製品の品質にまで、つまり、あらゆる“住む側”の事情を大優先に家の設計ができていきます。

 住む人が力(ベクトル)になって、その家が回り(モーメント)出します。私は人の住まない、働かない、ただ空間だけの家や建物の設計は苦手です。人の住む家はモニュメントや展示場ではないからです。

 住む人の力と作用は建築を始めたころから気になっていました。かつて青森の青少年婦人センター計画案や、ウイーンの国連国際会議場コンペなどでも試みました。妻を亡くして改めて家族のベクトルと織りなすモーメントの大切さが身に染みました。

 毎年雪の多い2月になるとこんな心境になります。今年は干支(えと)も同じ、24年前のことです。

 次回は「改めて夫婦の寝室」についてお話しましょう。

プロフィール

天野彰(あまの・あきら)

岡崎市生まれ。日本大学理工学部卒。一級建築士事務所アトリエ4A代表。

「日本住改善委員会」(相談窓口・東京都渋谷区松涛1−5−1/TEL03−3469−1338)を組織し「住まいと建築の健康と安全を考える会 (住・建・康の会)」など主宰。住宅や医院・老人施設などの設計監理を全国で精力的に行っている。TV・新聞・雑誌などで広く発言を行い、元通産省「産業構造審議会」や厚生労働省「大規模災害救助研究会」などの専門委員も歴任。「日本建築仕上学会」副会長とNPO法人「国産森林認証材で健康な住環境をつくる会」代表。

著書には、新刊『建築家が考える「良い家相」の住まい』(講談社)、『六十歳から家を建てる』(新潮選書)、『地震から生き延びることは愛』(文藝春秋)、『新しい二世帯「同居」住宅のつくり方』(講談社+α新書)、新装版『リフォームは、まず300万円以下で』(講談社 実用BOOK)など多数。

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