現在位置:asahi.com>住まい>いい家いい家族> 記事 PR 住まいの最新情報日本の家はなぜ継承されないのか?2008年04月06日 前々回からお話ししている白川郷は、ぶ厚いわらぶき屋根を持つ合掌造りの家です。厳寒多雪地帯にありますが、合掌の妻側(三角形側)は風通しよく、開放できる“夏の家”でもあると実感します。
高気密・高断熱で熱のロスが少なく、夏は冷房が効いて涼しく、冬は暖房が効いて暖かい。誰だってそんな家がいいと思います。結果、壁の家がいいということになるのでしょう。しかし、いくら断熱効率がよくても、厳寒の比較的乾燥した北海道など一部の地域を除き、わが国では外断熱で蒸れやすい工法や24時間暖房など、小さな窓の壁の家では息苦しく、暑苦しくもなります。といっても、壁の家がここまであふれてくると、40年以上に渡る私の「開放的な家づくり」が間違っていたのではないか? と思うほどです。 私が一貫して行ってきた家づくりとは、なによりも家中の風の通りを考えることです。風は入り口とともに出口が重要です。物理的な風の通りだけではなく、気分的な「気」の通りでもあります。そこで風の入り口を大きく開放し、見通すことができて、部屋の隅々まで風が行き渡ることに気を配ります。そのため、東南側の壁は視覚的にもできるだけ開放し、柱だけにします。さらに家の西北側にはあちこちに風抜き用の窓を設け、開け閉めのしやすい窓にします。雨の日も窓が開けられるように庇(ひさし)を付け、小さな中庭や囲い庭などをつくって出かける際も風を通すようにします。 この発想は“夏の家”、柱と屋根の“傘の家”です。用心のため、塗り籠め(ぬりごめ)と呼ぶ、土壁(木舞壁=こまいかべ)と板戸で囲まれた納戸(寝室)がある程度です。都市の家となると、隣家に接するところで北側が土壁で覆われたものがあるものの、元来の発想は“傘の家”です。 こうした設計思想は、いくら西欧文化が浸透し、近代化されようとも昭和の時代まで延々と続いてきたものです。私が生まれ育った家も、初めて設計した家も、こうした思想でデザインしたものです。私の“師匠”は建て主と棟梁たちで、伝統工法や生活思想を実地で学んだものです。 しかし、高度経済成長に伴い、輸入材や輸入技術がわが国に浸透し、家づくりは工業化され、伝統的な和の住まいの思想も薄れ、次第に“壁の家”になっていきました。“師匠”たちは“匠(たくみ)”などと呼ばれ、まるで一部のこだわりの家づくりかのように、“総ヒノキの家”とか“しっくいの家”などと特殊視されるようになりました。 住まいの工業化は近代化の流れとしても、 “和の思想”が継承されずにきたのはなぜでしょう。理由として考えられるのは、近代化=米国化としてとらえられ、さらには急激な都市化に伴って、文化住宅や木賃アパートから分譲住宅(建て売り)、そして鉄筋の中高層マンションへと持ち家志向が進みました。都市そのものが密集して通気も悪く、クーラーが必要不可欠な“壁の家”となったのです。 “和”はすでに思想ではなくイメージかフォルムの一つとなっています。実際に教育の現場でもこうした貴重な伝統的思想は教科になく、茶や花の作法程度となっています。 経済成長を終えた今、人々は高齢化し,心のふるさとである伝統文化に魅かれ、祖父母から学んだ、“和の思想”をやっと思い出し、自己の心の行きどころを見つけるのに躍起です。また同時に身体も冷暖房に弱くなり、自然の風を求めるようになります。皮肉なことに、“和の思想”は今、新しい発見であり、心の安らぎとなっています。 写真は私がお手伝いをした伝統的木造の和の住まいです。次回は「古都京都に学ぶ都市の自然住宅」です。 プロフィール
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