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ユニテ・ダビダシオン |
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レイクショア・ドライブ・アパートメント |
建物と建築との違いをご存じだろうか。建築家にとって、その違いはとても重要な意味を持っている。その違いをきちんと考えておくことが、これからの住まいづくりに大きな示唆を与えてくれるように思う。
建物も建築も、じつは明治以降に輸入された西欧文化圏の概念で、もともと日本にはなかった。英訳すると、建物はビルディング(building)、建築はアーキテクチャー(architecture)となる。その意味は、ビルディングはたんなる普通の建物、アーキテクチャーは社会的に特別な意味や価値を持つすばらしい建築、そう理解していいだろう。日本の建築界ではそう認識されている。
近代建築の巨匠ル・コルビジェの名著『建築をめざして』(1923年)は、いまも建築を学ぶ若者たちのバイブルだ。そのタイトルに、あらゆる表現芸術を超越しようとする「建築」への強い意思を読み取れよう。そして、その「建築」を創造、実現する役割を担うのが、アーキテクト(architect)つまり建築家ということになる。
日本では、建築設計者であれば、建築家と呼ばれたり建築士と呼ばれたりと、その使い分けはとても曖昧(あいまい)だ。より厳密には、建築家がアーキテクトなら、建築士はエンジニア(engineer)ということになろうか。1級建築士のライセンスを持っている者が、必ずしも建築家というわけではない。
では、建築家と建築士との役割の違いはどこにあるのだろう。建築家を、オーケストラの指揮者、あるいは映画監督にたとえてもいいかもしれない。建築士は、各パートを演奏する演奏者、映画製作を支える様々なスタッフや俳優と考えていい。
建築を設計し建設するということは、構造、設備、造園等々、あらゆる分野のあらゆる職種がかかわる膨大な共同作業なのだ。その共同作業をまとめあげ、建築をひとつの作品に仕上げていくリーダーであり、コンセプターであり、ディレクターであり、トータルデザイナーが建築家、それを技術的にサポートするのが建築士ということになろう。
さて、実際に建築と建物との違い、その境界線はどこのあるのか。街を歩いていて、明快に区別がつくものではない。それは、人によって、時代や地域によってもかなり異なるだろう。実は、「建築」という概念は、西欧文化圏に近代という時代とともに誕生している。
それまで、寺院、宮城、農家、商家くらいしかなかった建物が、産業革命以降の近代化とともに、学校、駅舎、病院、銀行、裁判所、専用住宅等々と用途分化し、様々な種類の建物が出現し始める。その数え切れないほどの種類の建物を、ひとくくりにまとめる上位概念として「建築」は登場した。そのときから、「建築」のアイデンティティーを求めて「建築」の自分探しの旅が始まる。同時に、その使命を担う建築家という職能も誕生する。
たくさんの種類の建物のなかから、近代の建築家たちが「建築」をめざす題材に選んだのは住宅だった。教会でも宮殿でもない庶民の住まいを「建築」へと昇華させた近代建築の金字塔が、ル・コルビジェの「ユニテ・ダビダシオン(マルセイユ1952年)」であり、ミース・ファン・デル・ローエの「レイクショア・ドライブ・アパートメント(シカゴ1951年)」だ。
集合住宅を立体都市と構想したコンクリートの彫刻「ユニテ・ダビダシオン」、建築をあらゆる用途から開放しようとフリープランを構想した鉄とガラスの箱「レイクショア・ドライブ・アパートメント」。ほぼ同時期に実現されたこの二つの集住体は、近代都市住居のエッセンスが凝集された集合住宅として世界中の建築家たちに大きな影響を与えた。第二次世界大戦を終えて、世界中が住宅難だったの頃のことだ。
戦後の日本は、持ち家政策のもと民間ディベロッパーが住宅供給の主役になっていく。それはいまも変わることはない。その住宅供給量を考えれば、東京首都圏の街並みを造っているのは、民間ディベロッパーといっても過言ではないだろう。しかし、不思議なことに、そこに建築家の姿をみることはあまりない。
日本の建築家たちの多くは、民間ディベロッパーの商品化住宅は「建築」ではないと考えているようだ。商品化住宅の設計は建築家の仕事ではないと考えているようにも思える。一方で、ディベロッパーも、作品主義の建築家に拒否反応を示す場合が多い。最近は、デザイナーズマンションと呼ばれる建築家がてがける集合住宅も多く登場するようになった。でも、両者の不幸な関係は、いまもまだまだ続いている。