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ペットの足洗い場 |
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ドックラン・ヤード(いずれも染谷さんが企画監修した大規模マンションから) |
家族の高齢化、少子化、少人数化が進行する一方、犬や猫のペット愛好家が増えている。年々増え続けるペット頭数は、すでに15歳未満の子供の人口を超えているという。
家族形態の変化つまり現代社会における人と人との関係の変化と、ペット愛好家の増加には、密接な関係がある。そう思えてならない。ここ数十年で、子供への接し方も、ペットへの接し方も、日本人のライフスタイルと共に大きく変化した。さらに、誤解を恐れずに言えば、いま日本は「ペットは子供、子供はペット」化傾向にあるように思えてならない。
ペット愛好家やペット頭数の増加理由のひとつに、最近「ペット可」のマンションが急増していることがあげられよう。毎年毎年大量供給される分譲マンションで、犬や猫の小動物を飼っていいともなれば、それはペット頭数も増えるはずだ。TVコマーシャルでおなじみになった室内犬が急増しているらしい。
ペットのための共用施設を持つ大規模マンションも数多く登場している。僕が企画監修した大規模マンションのいくつかは、エントランス前の「足洗い場」、体毛をつくろい洗浄する「トリミング・ルーム」、リードなしで思い切り走らせられる「ドックラン・ヤード」等々の共用施設をもっていて、それが販売上の付加価値になっている。
とはいえ、やはりというか、マンション内でのペットにかかわるトラブルは結構多いようだ。その実態をよく聞いてみると、マナーを守らないごく一部のペット愛好家住人と、それに過剰反応するごく一部のわからずや住人との間にトラブルが起き、それがマンション全体を巻き込んで大きな騒動に発展していくケースが多い。
そんなペットトラブル騒動のなかで、ペットのための共用施設は「不要」という意見が、ペットを飼っている住人からも、飼っていない住人からも、双方から必ず出てくる。「使いにくい」、「使われていない」という理由からだ。ただ、双方の不満はとても感情的であって、それゆえに解決の糸口が見えない。そこでペットの共用施設をやつ当たり的にトラブルの原因にしているように僕には思える。いずれにしろ、ペットの共用施設は、ないよりあった方がいいにきまっている。
街の公共施設である図書館や体育館だって、市民全員が利用しているわけではない。マンションの共用施設は、街の公共施設と同じと考えていい。本来的に、共用施設は、専有住戸機能をサポートするために用意されている。そして、逆説的だけれど、共用施設はむしろその共用施設を使わない住民のためにあると言っていいだろう。
ペットのため共用施設は、その典型かもしれない。「足洗い場」は散歩帰りのペットがマンション内を汚さないためにある。もちろん、泥んこ遊びをした子供たちも利用していい。「トリミング・ルーム」は、体毛をむやみやたらにマンション内にまき散らさず、配水管にも流さないためにある。「ドックラン・ヤード」は、ペットのストレスを発散させ、穏やかでおとなしいペット飼育を目的にしている。
でも、ペットトラブル解消のためには、そうした共用施設によるハード面の充実もさることながら、ペット愛好家のマナー育成など、ソフト面の充実はより重要だろう。僕が企画監修した大規模マンションでは、ペットを飼う住人はペットサークルに入会することを義務付けられている。そこは、正しいペットの飼い方やマナーの習得、トラブル防止のための情報交換、そしてペットを介してのコミュニティー形成の場にもなっている。
実は、僕もいま猫を飼っている。子供の頃から、犬や猫はもちろん、闘鶏や魚や亀などの様々なペットと親しんできた。思い起こせば、昔の飼い犬や飼い猫は、家庭生活を維持していく上で実際に大きな役割を果たしていたように思う。ただの愛玩動物ではなかった。
たとえば、猫はネズミ捕り、犬は番犬、それにどちらも残飯整理をしてくれて生ごみ処理の役割を担ってくれていた。最近のマンションライフでのペットは、そんなことはとうてい考えられない。防犯には多少は役にたっているかもしれないけど、家にネズミはいないし、ペットたちの主食は市販のペットフードだ。
現代社会でペットはどんな役割を担っているのだろうか。一言でいえば、「癒やし」であろう。ペットをまるで自分の子供のように扱っている人を、最近よく見かける。その光景は、愛玩動物の「玩」は「もてあそぶ」というほどの意味だけど、愛玩を超えてもうほとんど親子、肉親関係のように見えてくる。
それは、人と人との関係が希薄になった現代人の寂しさを癒やす象徴的な光景といっていい。さらに、その光景は、少子化社会ゆえの親と子の過剰なかかわり方とも重なって見えてくる。それは僕だけだろうか。いずれにしろ、高齢化、少子化社会を背景に、人と小動物が共生するマンションライフはいまやごく普通になった。