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「野村ホーム」が消えた日
阿部 和義
2006年04月21日
野村不動産グループの有力会社であった「野村ホーム」が3月末で消滅した。一つの会社が倒産や破産してなくなることはあっても、商売をしている会社を解散させることは珍しい。野村不動産は上場に際し、先行きが不透明な事業である木造注文住宅の分野から撤退することを決めた。もともとはハウジング事業部門として野村不動産が行なっていたのを91年2月に独立させ、野村ホームを作った。グループの筆頭会社として戸建・分譲住宅の請負、設計、施工、管理などを行ってきた。バブルの時代はかなりの利益を上げたが、バブルがはじけてからは、積水ハウスなどの専業の住宅会社に押されて業績が低迷していた。そうした中、親会社の野村不動産の上場で、2年前から撤退の準備に入っていた。
この責任者に指名されたのが、野村不動産のナンバー2であった三井利忠・副社長だった。野村証券から天下りの社長が来る中で、三井氏は生え抜き社員の星として活躍してきた。その彼が最後の仕事として、撤退を担うことになった。いま、人気のあるNHKの大河ドラマの「巧妙が辻」で、織田信長が義理の弟の浅井長政に裏切られて撤退する時、秀吉が引き受け、多くの部下の犠牲でうまくいった。これが秀吉の出世の始まりとも言われている。進むより撤退の方が難しい。
野村ホームは売上200億円を越し、従業員も300人、20カ所に事業場を持っている。こうした人をスムーズに新しい職場に移すとともに、2万5000件の顧客のアフターサービスもしなくてはならない。撤退作業で難しかったのは、06年4月に採用した新入社員19人の身の振り方であった。野村ホームに入るために入社試験を受けてきたのに、「辞めて欲しい。別な会社に行って欲しい」と言うのが辛かった、という。1人が辞めたほかは、野村不動産やその関係会社に勤めることになった。
「新入社員の処遇が大きなトラブルもなく、決まった時にはホッとした。この仕事をしている時は、ゴルフのスコアはめちゃめちゃでした」と三井氏は苦笑いしていた。三井氏から来た退任の挨拶状には「これからは故郷の群馬県・沼田と自宅とを行き来して英気を養います」と書いてあった。
一つの会社を閉めることは、作るより何倍もの力が必要である。
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