前回のこのコラムでは、野村ホームを見事に整理した野村不動産の三井利忠・元副社長の話を書いた。三井さんは「淡々として撤退したので書いてもらうようなことはありません」と、記事にすることに抵抗した。しかし、退くことは進むことより難しいということで、納得してもらった。今回は、一度は倒産の危機にあった「長谷工コーポレーション」を立て直した岩尾崇・社長を取り上げる。
岩尾社長もこうした成功話には抵抗したが、不動産ジャーナリスト会議で「是非に」ということで「企業再生への経営哲学」という話をしてもらった。銀行マンは自行(りそなホールディング)の資産を保全することを第一にするので、企業再建を果たすケースは少ない。苦しい時の7年前に副社長で来て、昨年4月に社長になった岩尾社長は地獄から這い上がった珍しい体験をしたことになる。岩尾社長の上に建設省から来た嵩(だけ)聡久・会長がおり、仕事を取るほうは嵩会長がやり、内部固めを岩尾社長がするという二人三脚で進んできた。
長谷工コーポレーションは長谷川武彦氏が一代で作り上げた会社で、男がいなかったので娘婿につなげていった。私が建設省を取材していた時には、娘婿の水上芳美氏が会長で、合田耕平氏が社長だった。当時、合田社長はマンション、ビル経営、ゼネコンの建設業、エンジニアリングの三本柱で経営を進め、自信満々だった。
ところが、バブル時代にホテル経営に乗り出し「ブライトンホテル」を蓼科、京都、浦安につくった。リゾート事業に手を出したことから業績が悪くなり、1兆500億円の有利子負債を抱えるようになった。こうした負債を金融機関に一律に棒引きしてもらった。従来のやり方では主取引銀行が多く棒引きするのに、同じ比率で行った。
この交渉では合田社長が金融機関を回って頭を下げた。岩尾氏は「かわいそうなぐらいにキツイことを私の前で言われていましたが、合田さんは謝るばかりでした。立派でした」と話す。経営責任を明確にするために、合田氏には自宅だけでなく株も出してもらった。再生のポイントはマンションの建設受注に集中したことである。マンションブームが幸いしてこの面では長谷工は20%のシェアをもちトップクラスの成績をあげた。
再生にあたり一番必要なことは「基本理念」である、という。お客第一主義で住まいのオンリーワングループになることを訴えてきた。
また、人材が全てであり「人財」「人材」「人剤」「人在」「人罪」に分かれ、「人財」になるように人の教育に力を入れた。さらに「信」を大切にした。
岩尾社長の06年3月期の決算は500億円の経常利益が出る見通しである。再生完了から持続的発展に進んでいる。