現在位置:asahi.com>住まい>住まいのお役立ちコラム> 記事 PR 注目マンション情報建築の装飾について2007年09月07日 この夏、イスタンブール、プラハ、ウィーンの3都市をめぐる旅をした。いずれの都市も、建築はもちろん、街そのものが世界遺産になっていて、いまや世界中の人たちが訪れる人気の観光地となっている。また、それぞれが、キリスト教文化圏のエッセンスを濃密に凝集した歴史豊かな都市である。今回の旅の目的は、それら華麗な都市文化をじっくり体験、堪能することにあった。
ところで、何故、東京は世界遺産の候補に上らないのだろう。そんな疑問を誰も抱かないし、抱かせないのが、東京という現代都市の個性なのかもしれない。もちろん、世界遺産となることが都市の魅力のすべてではない。でも、世界遺産になることは、少なくとも都市景観の美しさのバロメーターにはなるだろう。 僕は、都市景観の美しさと都市文化の高さは比例すると考えている。だとすれば、東京に象徴されるような現代日本の都市景観は、そして個々の建築デザインは、いまのままでよいのだろうか。よいわけはない、と素直に思う。 アメリカの建築家ルイス・カーンはこんなことを言っている。「都市とは、小さな子供が歩いていくと、将来一生をかけてやろうとするものを教えてくれる何かに出会う、そんなところだ」(コラム2005/05/20参照)。私たちが日々暮らす街を、僕はそんな街にしたい。そんな想いを持って、またその手がかりを求めて、僕は異国の都市を旅している。 この夏の旅で、改めて考えさせられたことがある。建築の装飾についてである。 戦後日本の建築デザイン教育では、装飾は否定的に扱われてきたといっていい。その成果あってか、街なかに装飾豊かな建築を見ることはほとんどない。 柱や梁など建築の構造(骨組み)をきちんと忠実に表現すること。そして、鉄やガラスやコンクリートなど建築素材を素直に表現すること。そうした「構造表現主義」、「素材表現主義」ともいうべき二元論が、戦後日本の建築デザイン教育の根幹にあった。 だから、ディズニーランドのような「張りぼて」あるいは「書き割り」デザインを絶対にしてはならないし、それは建築ではない。重要なことは、「構造表現主義」、「素材表現主義」のもと、建築のプログラム(用途・機能の関係性)の整理であり、そのプログラムを実現する空間構成だ。そして、現実にはコスト監理ということになる。 そこに、装飾というデザイン概念が入り込む余地はまったくなかった。というより、装飾は建築デザインから排除されたといった方が正しいかもしれない。装飾過剰な日光東照宮を「否」、木造架構と建築素材が素直に表現され、抽象的な幾何学デザインにまで昇華されたた桂離宮を「是」とする建築デザイン教育が、戦後一貫してなされてきたのである。 現在活躍している日本の建築家たちの多くは、そう教育され、実際に今もそれを建築デザインの基本理念としているに違いない。僕もその一人である。例えば、安藤忠雄氏の打ち放しコンクリートの建築は、その究極の建築デザインといっていいだろう。そこには、装飾のかけらもない。 ところが、この夏に旅した3都市、とくにプラハとウィーンは「装飾都市」、「仮面都市」といってもいいほどに装飾に満ちていた(写真1)。ゴシック、ルネッサンス、バロック、アールヌーボーなどなど、あらゆる建築様式のオンパレードの街並みであり、それは「張りぼて」、「書き割り」建築以外の何物でもなかった。建築壁面を覆う壁画もじつに多い。 その世界遺産の街並みの基本的なデザイン手法は、ディズニーランドと何ら変わりはない。「構造表現主義」、「素材表現主義」とは無縁なのだ。それに、それら建築様式のルーツのすべては、実は古代ギリシャの「パルテノン神殿」(写真2)にあり、プラハやウィーンの伝統(土着)的な建築デザインとは何ら関係ないからだ。実際、現在のプラハやウィーンの街並みを形成する多くの建築は、18〜19世紀に造られている。 プラハやウィーンを歩いていると、素直に美しい街並みだと思う。そして、装飾に覆われていない建築は「何も纏(まと)わず裸で街を歩くようなものだ」といった都市文化がひしひしと伝わってくる。 プラハではスメタナ、ウィーンではシュトラウスと、コンサート三昧の連夜を送っが、そのコンサートホールもこてこての装飾空間だった。もちろん、マイクもスピーカーもない。オーケストラが奏でる音と装飾空間に身をゆだねる不思議なその心地よさは何なのだろう。 イスタンブールの巨大なイスラム寺院「ブルーモスク」の大空間を覆いつくす緻密な幾何学文様は、それは見事である(写真3)。また、いまは博物館となったイスラム寺院「アヤソフィア」では、そのイスラムの幾何学文様の裏側に隠されていたビザンチン時代のモザイクタイル壁画(9世紀ごろ)の美しいマリア像やキリスト像を見ることができる(写真4)。それらもまた建築を覆う装飾であることに変わりはない。そして、それら建築装飾は、宗教や文化や時代を超えて、味わい深い感動的なメッセージを私たちに送ってくれている。 この現代日本で、都市と建築と装飾について改めて考えてみたいと思う旅となった。 |