2008年6月27日
手賀沼手賀の杜スクウェア・外観
手賀の杜スクウェア・内観
僕は、手賀沼のほとりで生まれ育っている。幼い頃よく遊んでいた手賀沼は、水底に揺れる水草や群れ泳ぐ小魚がくっきりと見えるほどに水は澄みわたり、きらきら光る水面には水鳥が羽を休め、夕暮れには夕日があたり一面を真っ赤に染めて、それは美しかった
手賀沼は、自然の恵みの宝庫でもあった。周辺からは古墳や貝塚が数多く出土している。縄文・弥生の古代から人々はこの地に住み、豊かな歴史と文化を営々と育んできたということだろう。この手賀沼を中心にした柏・我孫子エリアを、僕は手賀沼文化圏と呼んでいる。
1960年代、日本が高度経済成長時代に突入するともに、上野駅から常磐線で30分ほどの柏・我孫子エリアは、のどかな田園地帯から首都圏のベッドタウンへと変貌していく。手賀沼は、その生活排水で汚染が急速に進み、あっという間に日本で一番汚い湖沼となってしまう。様々な水質改善対策が試みられはしたものの、その汚名は1974(昭和49)年から27年間も続くことになる。
21世紀に入り、ようやくその水質改善の効果が表れ、2006(平成18)年の夏にはトライアスロン大会が開かれるまでに手賀沼は復活する。また、水鳥も増え、渡り鳥も少しずつ戻って来ているという。手賀沼が、かつてのその美しい姿を取り戻す日もそう遠くはないだろう。
その手賀沼のほとりに、いま約1650区画の戸建て住宅街が建設中である。建売住宅が中心で、開発規模も供給戸数も首都圏で最大級だという。しかも、いま不動産市況が低迷しているなか、販売状況は大変好調だそうだ。
その人気の要因は、復活した手賀沼の魅力にあるのではないだろうか。首都圏の内陸部で通勤圏内にあって、これだけの豊富な緑と水景を享受できるところは他にはない。手賀沼の復活が、新たな不動産マーケットを創出したと言ってもいいかもしれない。
この大規模な戸建て住宅街の建設が始まって3年たつ。街全体の景観も見えつつあり、すでに約450家族の新生活が始まっている。完成すれば3000人以上の人たちが暮らす街になる。それは、自然豊かな手賀沼文化圏に出現する全く新しい巨大コミュニティーであり、それもお互いに見ず知らず同士の人たちがいきなり近隣同士となるコミュニティーである。おそらく、住民は手賀沼文化圏の外から来た人たちばかりになるだろう。地元住民や隣人たちとの交流を促進し、彼らの新しい街での新しい生活の不安や疑心暗鬼を少しでも早く一掃してあげることはできないものだろうか。
そこで、この手賀沼のほとりの街づくりに採用されたのが、コミュニティーデザインという計画手法だ。僕はその企画監修にかかわっていて、それは、一言でいえば、心地よい人と人との関係を醸成していく仕掛けづくりであり、積極的にコミュニティー活動を仕掛けていこうという新しい街づくりの試みでもある。
実は、このコミュニティーデザインが、この建売住宅街の販売の好調を支えるもう一つの大きな要因にもなっている。その試みの一端を紹介しよう。たとえば、英会話を教えたい人がいて、習いたい人がいたら、互いを紹介してあげる。それでカルチャースクールが開催される。また、趣味を一緒に楽しみたい仲間をほしい人たちがいたら、彼らを紹介してあげる。それでサークル活動が始まる。フリーマーケットやクリスマスのお祭りをしたい人たちがいたら、一緒にその企画をして広報してあげれば、近隣の人たちが集まりイベントが開催される。
そうしたカルチャースクールやサークルやイベントを住人たちに積極的に楽しく仕掛けていく、つまりコミュニティー活動のための楽しいプログラムをつくり、その舞台となる共用施設(コミュニティーハウス)を計画し実現していくことが、コミュニティーデザインである。そこで、プログラムづくりとその実践をサポートする人たちを、僕はコミュニティーサポーターと呼んでいて、いつも地元の主婦たちにお願いしている。
見知らぬ隣人同士が早く顔見知りになるためのきっかけづくりのお手伝いをすることが、コミュニティーサポーターの役割といっていい。それが地元の主婦たちなら、地元の情報をたくさん知っていて、地元住民と新住民との交流も芽生えやすいだろう。同時に、それはスキルを眠らせている地元主婦たちの雇用促進にもなる。雇用主は、もちろんディベロッパーである。
この街でも、コミュニティーサポーターは、地元、我孫子在住のNPO法人を主催する主婦たちだ。手賀沼でのイベント、地元の農家の皆さんとの交流、フットサルやアロマやヨガや書道などのたくさんのサークル活動がすでに繰り広げられていて、新住民は新しい生活を楽しみながら新しいコミュニティーを形成しつつある。さらに、その活動に、住宅購入を求めてきたお客さんをも巻き込んでしまう。未来の住民、新住民、地元住民を様々な形でつないでいくことが、コミュニティーデザインの目的でもある。
コミュニティーデザインの企画監修とともに、活動の舞台となる30坪ほどに小さなコミュニティーハウスの設計も僕が担当している。住民の皆さんと約半年間のワークショップを開きながら設計は進められ、つい最近竣工したばかりだ。建築プログラム、運営管理方法、使用規則、そして『手賀の杜スクウェア』という名前も、このワークショップで決められたのだが、そうしたことのすべてがコミュニティーデザインと考えていい。
美しい手賀沼が復活しつつあり、そのほとりに新しい大きな街ができ、手賀沼文化圏はいま新たな転換期にある。本当の豊かな暮らしとは何だろう、僕の故郷はこれからどうあるべきなのだろう、そんな思いのなかから『手賀の杜スクウェア』は誕生している。