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リビング端に置かれたミニテーブル。この上に物を積むようになったら、生活に「余地」がなくなっている証拠。さりげなく、自分への戒め、チェック機能を果たしている |
インテリアやリフォームのコーディネートをする会社と、輸入タイルを扱う会社を経営する女性ふたりと話す機会があった。
みなで意気投合したのは、「家つくりには余地を残す」という話であった。私もコーポラティブハウスへの入居を体験して、強烈に痛感したのはそこだ。家は、住んだその日が始まりであって終わりではないというあたりまえの原点である。
何千万円もする買い物なので、「どうせならこの設備も」「あの家具も」と完璧(かんぺき)にしがちだが、ライフスタイルは変化する。ときには子どもが巣立ったりして家族構成も変わる。最初は「足りないくらい」がちょうどいい。
紙の上の設計図や、モデルルームではわからない一日の暮らしの温度のようなものが必ずある。そういう気分や、光の当たり方、家族の動線、好みの変化に合わせて、足りないところを住みながら足していけばいいとしみじみ思う。
それは具体的に言うと、テラスや庭であったり外構部、カーテン・ファブリック類、照明、造作の棚だったりする。
机上ではこのサイズのこの柄がいいと思っても、住んでいくうちに「いや、あっちがいい」と転換することが多いので、住み始めは不便でも、時間をかけて、自分の暮らしに合った「正解」をみつけていけばいい。
そういうことを話ながら、私はふっと思った。
暮らしにも、余地を残すことが大事ではないか? スケジュールをぎゅうぎゅうに詰めない。冷蔵庫も洗面所下のストックも余地がないほど詰め込まない。子どもにも、ぼけーっとした時間もないくらいに勉強を押しつけない。アクセサリーもメークもちょっと足りないくらいに。
どんどん引き算をしていって、「こうしたらどうかな」とくふうして足す余地を残すくらいがちょうどいい。
しかし、言うは易しだが、これ、じつは意外に難しい。おとといも生協で食器洗い洗剤を2本頼んでしまったし、今月は何の予定もない日曜日は1回もない。電話がかかってきたら、めいっぱいおしゃべりをして、欲しいものもないのに、オークションサイトをのぞいてしまう。なんと私の生活の過剰なことよ。考えたり、くふうしたり、やりくりしながら暮らしを楽しむ余地がまるでないではないか。
時間も、ものをもつことも、住まいの空間も、余地を残す。今年の課題がやっとみえた。