 空について
2007年01月15日
好きな写真家が、テレビでこう語っていた。
 お台場にて。海、高層ビル、空。埋め立て地と空の対比がおもしろい
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「空だけの写真は苦手なんだよね」
彼はよく、屋根やビルやベランダの手すりごしの空を撮る。対象物があって、そのむこうに空があると、こっちの現実の世界と天空の世界との対比が見えて、おもしろいのだと言う。
私も、さえぎるものが何もない空だけの写真より、木々や家や道が映り混んだ写真のほうが好きだ。いろんな物語を想像するし、対比があるからこそ、画角のなかで一部だけ抜けた空の美しさが際だつ。
我が家のリビングは庭に面している。朝な夕なに、窓越しにその小さな庭と空を見る。思い返してみると、その瞬間は、美しさを愛でるなんて思いはこれっぽっちもなく、たいていただぼーっとしていて、何も考えていない。前の住まいは、窓の前がお隣の家の窓だったので、そういう一瞬の「ぼーっ」がなかった。この一瞬は、私の生活の句読点みたいなものだなあと、あらためて今思う。点自体に意味はないけれど、それがないと息苦しくなるような……。
同時に、屋根と屋根の合間に見える小さな空だからこそ尊いし、ありがたくも感じる。小さな空にも、季節ごとの表情があり、時間ごとに変わる。広い空がすばらしいに違いないが、私などは、そういう空を毎日見ていたら、ささやかな変化に気をとめなくなるかもしれない。
何年か前、古い日本家屋で骨董屋さんを営んでいるお宅に伺った。桐生市の郊外で、のどかな立地にある。庭園を見学したあと2階に上がると、主人が
「この窓をご覧ください」
と勧める。のぞくと、澄み切った空と、遠くに赤城山が見えた。窓枠からの風景がまるで絵画のようで「きれいですね。1枚の絵みたいですね」と言うと、それは月見窓で、そこから見える景色を楽しむために設計されたと説明してくれた。
ほう、風流ですねとあいづちをうちながら私はふと思った。今日の桐生の空がこんなにきれいだったとは。広い空の下を歩いてきたのに、まったく気が付かなかったな。
この小さな枠からみた空のほうが美しく感じるから人間の感性はおもしろい。月見台や月見窓を考えた先人の粋にはおそれいる。
そういえば、私はトイレの窓から見える小さな空も好きだ。ながめるたび、東京の空もなかなか悪くないなと思う。それも例の句読点かもしれない。
大平 一枝(おおだいら・かずえ)
長野県生まれ。女性誌や文芸誌、新聞等に、インテリア、独自のライフスタイルを持つ人物ルポを中心に執筆。夫、11歳、7歳の4人家族。
著書に、『見えなくても、きこえなくても。〜光と音をもたない妻と育んだ絆』(主婦と生活社)、『ジャンク・スタイル』(平凡社)、『世界でたったひとつのわが家』(講談社)『自分たちでマンションを建ててみた。〜下北沢コーポラティブハウス物語〜』(河出書房新社)、など。【編集または文の一部を担当したもの】『白洲正子の旅』『藤城清治の世界』『昔きものを買いに行く』(以上「別冊太陽」)、『lovehome』『loving children』(主婦と生活社)、『ラ・ヴァ・パピヨン』(講談社)。最新刊は、紙と人の心の絆を描いた「かみさま」(ポプラ社)。
ホームぺージ「暮らしの柄」 http://www.kurashi-no-gara.com/

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