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「小さな家の生活日記」

くうねるところに住むところ

2007年03月26日

 連日、住まいと生き方の取材が続いている。一日撮影していると、こちらからお願いしてはいないが、ありがたいことにいく先々で、「お昼ご飯を作ったので食べていってください」「ケーキを焼いておいたので」と心づくしの手料理を勧められる。人一倍食い意地の張った私は、「いただきます!」と、端から頂戴(ちょうだい)する。きのうは赤出汁と豚汁。次の家で豆料理とうどのわたいため。その前は、出汁巻き卵にキャベツのトマト煮。ちらし寿司に野菜のおひたしのときもあった。

写真  
写真くうねるところにすむところを大事にしている人たちの食卓

 どの料理もおいしく、季節の素材を大切にした素朴な家庭料理ばかりである。口いっぱいにほおばりながらいつも、自分流に住まいに手を加えて暮らしている人は食にもこだわる人が多いなあと実感する。食べることと住むこと。因果関係はどれほどあるのだろうか──。

 食う寝るところに住むところ。やぶらこうじにぶらこうじと、落語の『寿限無』の一節にある。マガジンハウスの『クウネル』もそこからきていて、食べることと寝ること、つまり生活の基本、根っこの部分を大切にしよう、健やかに暮らそうというコンセプトがこめられているときく。

 私が今回取材しているのは、家になんらかの手を加えて暮らしている人たちである。リフォームまではいかなくても、自分で棚を作ったり、壁を塗り直したり、実家の蔵に眠っていた机をリメークして、ダイニングに使ったりしている。そういう人たちの住まい方と、食べることをアウトソーシングしないという考え方はリンクする。食べるものも住むところも、自分の手で紡ぐ。実際に、ほぼセルフビルドで家を建てた陶芸家もいた。そこまではできないが、せめて毎朝自分が食べる味噌(みそ)に何が含まれているか、漬物がどうやってできたかくらいは知っていたい。カタカナの自分の知らない名前の添加物がくわえられた食品ばかりが食卓に並ぶのは落ち着かない。きっと、そういうことなんだろうと思う。

 手前味噌になるが、自著『見えなくても、きこえなくても。』で、自給自足をする男性を四季にわたって取材したときに聞いた言葉が忘れられない。

 「本当の百姓は、ただ野菜や米を作るだけではありません。着るもの、食べるもの、住むところをすべて自分の手で作るのが百姓です。農業はひとつのなりわい。百姓は、生活すべてをひっくるめて百姓なのです」

 だから百姓は、朝起きてから寝るまで、衣食住全部を一つの芸術にできる。本来の百姓の家は、家全体がひとつの芸術品のように磨かれていて、品格がある。生活すべてを自分の手で創り上げる。なんて喜びの大きい、美しい生活なんだろうと彼は語っていた。

 現実に今もその言葉通り、彼は過疎の村で、荒れ地を耕し、廃屋を自分で改修し、空き時間には、いまや伝統工芸になった藤織りという織物を人々に教えている。まさに衣食住、すべて自分の手で紡いでいるのだ。

 なにもかもが簡単に手に入る今だからこそ、自分の手を使って生み出すことが尊くみえることもある。あたたかな手料理に舌鼓をうちながら、ていねいに暮らすということは、少なくともなんらかの形で“食う寝るところに住むところを自分の手で”ということなんだろうなと思った。

プロフィール

顔写真 大平 一枝(おおだいら・かずえ)

 長野県生まれ。女性誌や文芸誌、新聞等に、インテリア、独自のライフスタイルを持つ人物ルポを中心に執筆。夫、11歳、7歳の4人家族。

 著書に、『見えなくても、きこえなくても。〜光と音をもたない妻と育んだ絆』(主婦と生活社)、『ジャンク・スタイル』(平凡社)、『世界でたったひとつのわが家』(講談社)『自分たちでマンションを建ててみた。〜下北沢コーポラティブハウス物語〜』(河出書房新社)、など。【編集または文の一部を担当したもの】『白洲正子の旅』『藤城清治の世界』『昔きものを買いに行く』(以上「別冊太陽」)、『lovehome』『loving children』(主婦と生活社)、『ラ・ヴァ・パピヨン』(講談社)。最新刊は、紙と人の心の絆を描いた「かみさま」(ポプラ社)。

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