現在位置:asahi.com>住まい>小さな家の生活日記> 記事 PR 住まいの最新情報父と黒い釘のこと2007年10月29日 実家の父は日曜大工が好きで、今でも、ゴミ箱を載せるキャスター付き台などを頼むと、二つ返事で作ってくれる。
私が子どもの頃は、週末はいつも、軒先で、工具の箱を広げ、ステテコに肌着姿でのこぎりと格闘していた。そして、一度作った物を壊してリサイクルするとき、必ず釘をていねいに引き抜き、曲がりを直し、佃煮の空き瓶にしまっていた。 「捨てないの?」 と聞くと、 「また使えるんだよ」 と言った。もう錆びて黒いし、新しいぴかぴかの釘がたくさんあるし、安いものなのだから、一度使ったものは捨てればいいのに、と子ども心に思ったものだ。 やがて結婚した私の引っ越しの手伝いに上京した父は、のこぎりだのねじ回しセットだの、かんたんな工具一式をわが家に置いていった。「こういうもんも、ときには必要なときがあるだろう」と、言いながら。 そのなかに、佃煮のガラス瓶があった。予想どおり、黒光りしたあのリサイクル釘が新しい釘に混じって入っている。あらら、うちに回ってきましたか、となんだかおかしくなった。この釘、いったいいつ、引き抜いたものかしらと思いながら。 あれから13年経つが、いまだにその黒い釘はなくならない。この話にオチはなく、父も前述のとおり健在で、だからなんだと言われればそれまでなのだが、親が子どもに伝えることというのは、なにかすばらしい麗句や、ものではなくてもいいのだな、とその釘を見るたびに思う。夏の軒先で、額に汗しながら、母から頼まれた台所のしゃもじ掛けだとか、子どもの習い事の譜面台とか、そんなものを一生懸命、木でキコキコ作る父の姿は、いろんなことを教えてくれた。当時だってすでに、なんでも買える、ものが揃った時代だったはずだ。 釘も、父に限らず、昔の人は皆そうしていたに違いない。3センチの釘1本を引き抜いて、瓶にしまうという、途方もなく小さなリサイクルに、「もったいない」を大事にしてきた日本人の精神性が垣間見える。してみると、1本の釘も雄弁なものだ。 プロフィール
|
ここから広告です 広告終わり 提携サイトで探す一覧企画特集
どらく
朝日新聞社から |