2008年3月3日
散歩していて見つけた、たたずまいが昔ながらの銭湯
森茉莉、宇野千代、萩原朔太郎、斎藤茂吉……。かつてこの緑道界隈に多くの文人が住んでいた
下北沢は不思議な町だ。
家族で暮らしていると、子供の友達の親とか、その親の仕事仲間とか、よく行く店の常連同士とか、その店の内装を手かげた人のまた別の店の主が知り合いでとか、点と点がゆっくりだけど、とぎれずにどんどんつながってゆく。そして、知り合いというだけでなくて、「じゃあ今度仕事を」とか「こんなワークショップがあるから来ませんか」とか、アクションに連動する。そういうアクションを軸にした小さなコミュニケーションの輪がいくつもできて、輪と輪がまた「商売」や「道路問題の運動」や「阿波踊り」や「芝居」「映画」「ライブ」などのキーワードをフックに、知恵の輪のようにつながってゆくのでおもしろい。根幹の部分でいくらか似かよった価値観の人が多めに住んでいる気がする。もちろんこれは印象でしかないが、たとえばそれは、人と人がつながりあうことが苦手でないとか、1カ所に素敵な店が集った便利なファッションビルより、ごちゃごちゃとした路地をそぞろ歩きながら掘り出し物をみつけるのが好きとか。秩序より混沌、車より徒歩、新品よりユーズド。いろんな共通項が浮かぶ。
よく行く喫茶店の店主が、下北沢の歴史に詳しく、戦後の町の写真や、戦前に住んだ文人たちのエピソードをよく話してくださる。その店もかつて森茉莉が常連で、今も「彼女の座った席」がとってある。自分の両親のような年齢だが、話し出したら止まらず、次々興味深い地域のエピソードが飛び出す。手品が得意なので、一昨年、娘の小学校の行事に来ていただいたら大盛況だった。「あんなに子供たちが喜んでくれるとは。とても楽しませてもらいました」と、ご夫婦で弾むような足取りで帰って行かれたのを覚えている。
最近も、思いがけずご近所に住む方とメールのやりとりがあった。やっぱり共通の店や知人がいて、ではお茶でもという話にすぐになった。
世代や業種や肩書きを越えて、気軽に交流できるのがこの町のいいところだ。下北沢に限らず、日本中にきっとたくさんあることだろうが、ここまで人がつながれる町は、私は初めてである。
若い人が多いというが、祭りや商店街や町会を仕切っているのはずっと上の世代で、それらを通して、上の世代から下の世代へ引き継ぎされるものやコトが必ずある。人と人が育ててきたこの町ならではの文化というのが脈々と流れているのだ。
これから大きな道路が街の真ん中にできるというが、新しい町の形成が、つながりの輪が育んできた文化にどう影響をもたらすのか。少しおろおろしながらゆくえを気にしている。

長野県生まれ。女性誌や文芸誌、新聞等に、インテリア、独自のライフスタイルを持つ人物ルポを中心に執筆。夫、12歳、8歳の4人家族。
著書に、『見えなくても、きこえなくても。〜光と音をもたない妻と育んだ絆』(主婦と生活社)、『ジャンク・スタイル』(平凡社)、『世界でたったひとつのわが家』(講談社)『自分たちでマンションを建ててみた。〜下北沢コーポラティブハウス物語〜』(河出書房新社)、『かみさま』(ポプラ社)など。【編集または文の一部を担当したもの】『白洲正子の旅』『藤城清治の世界』『昔きものを買いに行く』(以上「別冊太陽」)、『lovehome』『loving children』(主婦と生活社)、『ラ・ヴァ・パピヨン』(講談社)。最新刊は、『センス・オブ・ジャンク・スタイル』『スピリッツ・オブ・ジャンク・スチル』『ジャンク・スタイル・キッチン』(風土社)の3部作。
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