現在位置:asahi.com>住まい>小さな家の生活日記> 記事 PR 住まいの最新情報おじさんの仏像2008年03月24日 定年退職してから、ある日突然思い立って、仏像を彫りだしたという知人のお父さんにお話を聞く機会があった。
「素人だからそんな、見るほどのものじゃないよ」 と謙遜するが、仏壇に置かれた20センチほどの観音像はなかなかどうして、優美で、細工も細かく、技巧を凝らしたすばらしいできばえだった。 「じつは、こっちにもあるんだよ」 おずおずと、彼はほかの作品もとりだした。座像もふくめ、全部で三体。長年銀行に勤め、美術や工芸とは無縁だったという人が、なにをきっかけに仏像を彫ろうと思ったのだろう。 「庭のイチイの木が枯れてきたから切ったらさ、中になにかで切ったような傷があるんだよ。昔から、木は生きていて、いたずらをしたら罰が当たる、絶対にしちゃだめだって言われて育ったのに、年輪から推測すると、俺の小さい頃なんだよね。自分には記憶がないけれど、うちの庭なんだからきっとうちの身内の仕業に違いない。それなら申し訳ないから悪さをした身内の代わりに、その木で仏像様を掘らしてもらおうと思ったんだよ」 私の父もかつて森や林に携わる仕事をしていて、木を大事にしていたし、尊んでいた。日曜大工でどんなに小さな端材が出ても捨てないし、傷の入った切り株をもらってきては椅子や花台がわりにする。私も、子どもの頃から木には木の神様が宿っていると信じていた。当時の年齢で、万物に霊魂が宿るといったアニミズムを知っていようはずもなく、とにかく木は大事にしなくちゃいけないんだと、父のようすを見て悟ったのかも知れない。 庭の枯れた老木の小さな傷をみて申し訳ないと思う人の心は尊いと思った。「身内が悪さしてすみませんねえ、どうか許してくださいよ」と思いながら、慣れない彫刻刀でひと彫りひと彫りするおじさんの姿を想像する。そういう人生の先輩の美しいふるまいを、私たち後輩は見習わなければならない。ちゃんと胸に刻んで、引き継いでいこうと襟を正す思いで、私はいつまでも観音像をなでていた。 プロフィール
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