2008年3月31日
激しく本が増殖中の作り付けの本棚。引っ越し当初は「ここを絶対にいっぱいにしないようにしよう」「まだ本を置けるという心の余裕をつねに確保しておこう」と誓ったのに……。
ずぼらな私は、娘が小学校3年生になるというのに、入学式の写真をまだプリントしていない。デジカメで撮って満足してしまい、パソコンに落としたまま、プリントアウトしていないのだ。息子が小学校を卒業したので、ようやく重い腰を上げ、ふたりの子のデジカメ画像を整理してみた。やりながら気づいた。これって、うちの本棚と同じではないか?
マンションから古家に引っ越したとき、作り付けの本棚があったのでこれ幸いと本を詰め込んだ。
仕事柄、本はいくらでも増殖するので、ジャンルごとに本当にお気に入りの5冊以外は持たないと決めて、相当こまめに古本屋に行っていた。ところが、今はそれよりずっと大きな本棚ができたので、気がゆるみ、あまり処分を考えなくなった。
しかし2年も経てば、当然収納量に限界が来る、もう満杯である。(それでも数回は売っている)
さて、デジカメは、似たようなどうでもいいショットを何枚も撮っている。まだメモリーがあるからいいやと、撮るアングルも、フィルムの時ほど凝らない。撮りたいときに撮り、ためこむ。
しかしデジカメも、パソコンも無尽蔵に保存できるわけではない。本棚と同じだ。いつかは限界が来るから、こまめに整理をしなければならない。
同時にこんなことにも気づいた。
私はただ、所有物を持ちたくなくて本が少しでもたまると「これを今年もう1回読むかどうか?」と自問自答し、「読まないな」と思ったものは、とても気に入った作品でも手放していた。今後1年間にもう一度ひもとく可能性があるかないかが、自分で決めた唯一のものさしである。
じつはその自問自答の過程は、暮らしや生き方の大事な整理でもあったのだ。よくよく吟味し、この本がこれからの私の人生に必要かどうか考えることで、自分の思考や人生の方向性を、はからずも確認する機会にもなっていたのではないだろうか。
デジカメの画像も同様だ。画像整理は、プリントアウトして本当に大事にアルバムに貼りたい1枚かどうかを吟味する作業でもある。その子のかけがえのない一瞬は、ひとつの場面に一枚でいい。同じような背景の同じような笑みの写真を何枚も何枚も撮っていると、シアワセ感が薄まってくるような、麻痺するような感覚にとらわれる。とりわけ子どもの成長写真は本来、かけがえのない一瞬を切り取り、記録するものだと思っている。たくさんはいらない。
そして、とっておきの1枚を選ぶ過程もまた、成長を喜び、確認する場でもある。
どんどん所有物が増えてきたので、もう一度大きな整理をと、長男が中学生になるのを契機に、今週は、模様替えと片づけと想い出アイテムの整理週間にしている。おびただしい量の画像に、あまり作業のはかどらない毎日なのである。

長野県生まれ。女性誌や文芸誌、新聞等に、インテリア、独自のライフスタイルを持つ人物ルポを中心に執筆。夫、12歳、8歳の4人家族。
著書に、『見えなくても、きこえなくても。〜光と音をもたない妻と育んだ絆』(主婦と生活社)、『ジャンク・スタイル』(平凡社)、『世界でたったひとつのわが家』(講談社)『自分たちでマンションを建ててみた。〜下北沢コーポラティブハウス物語〜』(河出書房新社)、『かみさま』(ポプラ社)など。【編集または文の一部を担当したもの】『白洲正子の旅』『藤城清治の世界』『昔きものを買いに行く』(以上「別冊太陽」)、『lovehome』『loving children』(主婦と生活社)、『ラ・ヴァ・パピヨン』(講談社)。最新刊は、『センス・オブ・ジャンク・スタイル』『スピリッツ・オブ・ジャンク・スチル』『ジャンク・スタイル・キッチン』(風土社)の3部作。
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