2008年5月12日
ロケハンで訪れた私の大好きな家。画家が使っていた古い家を若い夫婦が買い取り、あまり手を入れず、そのまま暮らしていた。天窓付きの高い壁、狭くて小さな階段、木の手すり、ディティールひとつひとつに趣がある。
今日、ある人にこんなことを言われた。
「大平さんちに行ったとき、ご家族に会えなかったんだけど、なんかそこにいそうな感じがした。だんなさんが、ぬぼーっと茶の間に現れそうな。お子さんが、わーわーいいながら駆け回っていそうな。そこにいなくても、家ごとに家族の気配ってあるもんなんですね」
ほお、そんなもんですかねえと言いながら、なんだか嬉しくなってしまって、頬のゆるむのがわかった。そこにいなくても、そこに気配がある。家族や生活の匂いのする家が大好きだからだ。
といったって、たいていの家は気配など、消しようにも消せないものなのだが。しかし、ときおり、インテリアの取材で、ハウススタジオでしょうか? というような、まったく生活感のない、きれいなんだけれど無機質な印象の家に遭遇することがある。子どもがいるのに、その気配の全くしないモダンな高層マンションの1室。あるいは、ある洗練された高級メーカーの家具で統一された共働きカップルの家。撮影となると、いつも以上に一生懸命片付けるので、気配はいっそう消える。親子の食卓を撮り歩いているカメラマンが、
「そういう家はどんなにきれいでかっこよくても、撮りたいという気が薄まってしまって、どうしてもカット数が減ってしまうんですよね」
と言っていた。家族や生活の気配が出るからこそ、部屋や食卓の写真はおもしろいのだそうだ。
古いものにはとくに気配が漂うもので、我が家でも、父からもらった二眼レフカメラは、まったく扱えないのだが、そこにあるだけで存在感が漂う。メタルと黒のボディから、郷里の父の整髪料の匂いや、器用な細い指先を思い出させられるから不思議だ。だから使えもしないのに、茶の間の一番いいところに飾っている。中学に入学した息子が、サッカー部と写真部に入ると言い出したのも、あのカメラの影響が大きいに違いない。
「じいちゃん、あれ、どうやって使うの」
と、つい最近も電話で聞いていた。
冒頭の知人に「どんなところから、うちの家族の気配が感じられるのですか?」とたずねた。
「そりゃあもう、いろんなもんからですよ。柄のカーテン、丸いちゃぶ台、おもちゃに柱の傷。僕は中古物件をいろいろ見て歩いたけど、たとえそこに人が住んでなくても、家ごとに以前住んでいた人の気配というものが必ず感じられて、ひじょうにおもしろかったですよ」
彼はやっと理想の中古物件を見つけて購入。現在、リフォームの設計中なのだという。その家はどんな気配がありましたか? と聞くと、
「おもちゃの部屋がやけに大きいの。子ども部屋にこんなスペースをとるのか、どんな教育方針の親だったんだろうと考えちゃったね」
間取り一つからもしつけや生き方が垣間見える。家は、家族の歴史を映す記憶の箱でもある。

長野県生まれ。女性誌や文芸誌、新聞等に、インテリア、独自のライフスタイルを持つ人物ルポを中心に執筆。夫、12歳、8歳の4人家族。
著書に、『見えなくても、きこえなくても。〜光と音をもたない妻と育んだ絆』(主婦と生活社)、『ジャンク・スタイル』(平凡社)、『世界でたったひとつのわが家』(講談社)『自分たちでマンションを建ててみた。〜下北沢コーポラティブハウス物語〜』(河出書房新社)、『かみさま』(ポプラ社)など。【編集または文の一部を担当したもの】『白洲正子の旅』『藤城清治の世界』『昔きものを買いに行く』(以上「別冊太陽」)、『lovehome』『loving children』(主婦と生活社)、『ラ・ヴァ・パピヨン』(講談社)。最新刊は、『センス・オブ・ジャンク・スタイル』『スピリッツ・オブ・ジャンク・スチル』『ジャンク・スタイル・キッチン』(風土社)の3部作。
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